定期検査

昨日、9日定期検査のため病院に行きました。
内科から始まりです。
何てことなく・・・食生活に気をつけて、変わりがあったらまた来てくださ~い。
解りました・・・・で終わり。
ところで・・・年に一度の検査・・しておくかね。
ハッ・・・そ・う・で・す・ね・・・・。

じゃ、11月の2日、ちょっと先で忘れそうだね、ハッハッはぁ~。
胃カメラ飲んでもらって・・超音波やって・・一通りみんなやるか~
市の健康診断で、腸の検査、やったことある~・・?
いえ、やってないです。
じゃ、それもやるか!      あじゃ~。・・・・ハイ、ハイ。

それから、いよいよ整形外科。
レントゲン撮って・・・。
順調だね・・・!
でも・・・・・一応MRIで靭帯・半月板見てみるか! 22日でどう~。
ハイッ  いいですよ。
じゃ! 11時15分
順調じゃ・・・ねえの~?。

どっちも、ただの診察だけじゃ医療費低いんで、検査いっぱい入れられたか~・・・ッて思っちゃうよね。
おらっちとか、B・ノートのおやじとかは、とってもいいお客さんかも・・病院にとっては・・・。
2人で、夏祭りの花火の協賛金もらいに行ったらスターマインの一発でももらえたかも・・・?

まッ 体調べてもらってOKだったら・・・安心。

11月2日 近くなったら話題にして!。     忘れちゃうから・・・よろしくです。

リハビリ

今日、暖かかったから・・・暑かったから膝の調子がいいような気がして
ランチの時間過ぎてから
約1時間ほど、家の周り・スキー場の中、歩き回りました。
下り坂は、若干膝に痛み感じつつも、休んでた健や筋肉の痛みなんで
とにかく、リハビリ! リハビリ!。
上り坂はへっちゃらさ!!
階段も上りは・・・OK
風呂の中では、正座も出来ます。
斑尾スポーツアカデミーの前では、スタッフ皆で、「お帰り~~」のお声がけ、うれしかったです。

昨日は、塵芥収集所の当番、来る人皆、「どう?良くなった?」「何かしたんだって?」・・・注目の人です。

これだけ長く、斑尾高原でいろんな人とお付き合いをさせていただくと
どうも、おらっちの性格は知られてしまったらしく
「あせらないでよ」 とか 「調子に乗って動かして、2、3日たってまた他のとこ痛て~テ言うんじゃね~の」
とか
おらっち、返す言葉ありまシェ~ん。

明日から、また、リハビリがんばるぞ~~!。
あっちこっち歩き回ってたら・・・・・笑ってやってください!。

北信五岳と妙高山の事

妙高山その1・その2の続きはちょっとまってください。
少々長くなりそうなんで・・・・。

ところで妙高山の標高って・・・知ってる?
資料を開くと、2454mと2446mとあるけど、どっちが本当?
どっちも間違いではないんだよね~。

元々は、三角点を基準に(妙高山は一等三角点)日本独自の方法で標高などを計測してたんだけど、長い間の地殻変動や科学の進歩などによる機械(GPSなど)など計測方法も変わったり世界共通の地図なんかが必要になり、平成3年に国土地理院が、最高地点の位置や標高などを今までと違う方法(ジオイド測量)で調べまとめたんです。
新しく、全国の主要国道に2kmおきに三角点を設置して調べているとのこと。
平成14年に世界測地系の基準にあわせ法改正をし、30年ぶりに標高や緯度・経度が変わったんです。・・・・って!。

日本の水準点は東京湾の平均水位でその数字は変えることなく、より厳密な高さの計算手法を採用したんだそうです。

前の三角点を中心に等高線などを入れ計算した時は、妙高山の標高は、2445,96m(北の峰)
今は、三角点にとらわれず最高地点南の峰2454m(北緯36度53分29秒・東経138度06分49秒地点)なんです。

北信五岳は、斑尾山・妙高山・黒姫山(2053,4m)・飯綱山(1917,4m)・戸隠山を呼びますが、
それぞれが2000m級の山なのに、なんで1381,8mの斑尾山が入ってたり、北信(北信濃)なのに新潟県の妙高山(2454m)がはいってるんだ。
入れるんだったら何で妙高より高い火打山(2462m)じゃないの・・?。
戸隠山(1904m)も西岳(2053m)高妻山(2353m)乙妻山(2318m)をおさえて入ってるんだろう。

北信五岳とは、何時、誰がそう呼んだんでしょう。
北信五岳は、志賀高原・草津方面の山から(峠から)正面に見た山々を言うらしいです。
これらの山々は山脈を造らず、単独峰が点在する北信の美しい山々です。

おらっちたちも、志賀の渋峠なんかから良く見るよね。

よくみると、高いとこから見るんで斑尾山も、他の山にひけをとらない高さに見えるし、妙高山も,見た限りでは新潟県とも長野県とも解らないし火打山、焼山も陰になって見えないんです。
同じように、西岳も高妻山も隠れています。

昔、志賀の山を越えて草津に出て前橋・高崎を通り江戸に出る街道(草津街道)として、草津と湯田中・渋双方の温泉に行く街道として、それと善光寺参り、また産物運搬の大切な脇街道で通行する人も多かったと記録されています。

江戸時代、富倉街道の道路修復記録の中にも草津温泉の人々から寄付があったとの記録があるように、越後の人々も北信濃経由で草津に湯治行ったものと思われます。

志賀の厳しい峠を越える時、ようやく信濃に入ったんだ、国境まで来たんだとこの山並みを北信州の五つの山を、北信五岳と何時しか呼んだのでは・・・・。