斑尾ポスター

斑尾高原ではオープンしてから年2回冬と夏にポスターを製作し掲示していました。

そのポスターにキャッチコピーが入り始めたのは、1977年(昭和52年)の夏からです。

”77 夏  スニーカーの底にアスファルトの熱さを感じたら帰っておいで斑尾。

”77 冬  灰色の街から帰っておいでパステルカラーのスキー場 斑尾。

”78 夏  手作り村からの招待状

”78 冬  パステルカラーの光に揺れて思わずアダモの「雪が降る」を口ずさみたくなった。

”79 夏  あぁ、気分快晴。リゾートの汗。

”79 冬  雪物語 パウダースノーストーリー ひとひらの雪がほほにふれた

などなどである。

「まだらびっと」さん
写真だけど懐かしいポスター見ること出来ます。・・・・おらっちん家で。

それと、”80スキーの本にも航空写真のってますよ。

航空写真・・2

航空写真の記事に懐かしいや知らない、などなどのコメントを頂いたのでここでいろいろ書きたいと思います。

そうです。エースコースと言うのは現在のカービングコースです。
現在のスーパークワッドの乗り場から、ジャイアントコースからエースコースの分かれ目まで第9リフトが架かっていました。
その後、スーパークワッドに変わり・・だから現在第6・第9リフトと言うのがないんです。
そして、幻の第10リフトは土台のみで終わっています。

リフトの歴史は又の機会に・・・・

「かわちゃん」は1977年にはじめて斑尾ですか・・
”75から”77はペンションがいっきに増えた年です。ペンションBN(野田ペンション)は”76年オープン。2年目に訪れて、ひょんなことでひょんなことになったんですね””。

”75年にプラザ街という名称で、トミー・八坊・今井処・ルヴァ・すずき・キャンドルという6軒のレストランがオープンしています。

”77年には、ホテル・プチホテル3軒、ペンション66軒、レストラン・ギフトショップ8件、保養所3軒もあったんです。
聖峰・・ありましたよ!!。 ペンションの名はついていましたが、ある病院の保養所を兼ねていました、その後斑尾高原ホテルの男子寮となり、現在は取り壊されありません。

「なおちゃん」最初に出来たペンションは、スワロー・菊山・アブラヤ・小太郎・バニー・ニューあらや です。 そしてロッジ山峰   なつかしいね。
2年目に、しんざん・アップル・グリーンボア・サンロッジ・スター・藤和なんです。
この年、斑尾に除雪センターが出来、飯山市スキー学校斑尾分校(現スポーツアカデミー)が開校してます。
なおちゃん○ねんせいのときおらっちん家に来てるよね。

第4リフト、現トラバースコースから直接第3Aの降り場のちょっと下まで、第3A・Bが出来てからも数年はあったんですよ。

リフトに関しては、第8・第14・・・幻のリフトにならないように願いたいものです。

”76年・”78年は豪雪で自衛隊が出動したり、災害救助条例の適用が飯山市で始めて行なわれたりしていて
世の中は、カラオケブーム・裏口入学・翔んでる女・およげたいやき君などで

”75年は「山の家」の前のテニスコートがオープン・10月には斑尾高原観光協会が設立されています。
”77年は巨人軍、王選手が756号のホームラン世界記録達成、初めての国民栄誉賞を受賞。文部省が「君が代」を国歌と規定。

またこの地方では、何時のことやら・・・おらの生きてるうちには無理だな~なんて言われながらも”76年8月「北陸新幹線建設促進期成同盟会」が発足されたんです。今飯山の駅周辺は工事の真っ最中、飯山から上越に抜ける22kmのトンネルも開通、6年後の開業にピッチがあがってます。

そうすると東京から斑尾まで3時間半くらい・・・かな~
おらっちも生きてる間になんとか飯山駅から東京さ・・いくだ!!。

そしたら、航空写真集と一緒に1980年の岳人の別冊”80のスキー ペンション特集という本も出てきました。
前回言い忘れましたが、写真集も岳人別冊も、マッサラの状態です。

”80のスキーの表紙はなんと、フランツ・ラウターです。ラウターは斑尾で2年連続でレッスンキャンプをしたんですよ。

”80年といえば、東洋一のゴンドラリフト(スカイキャビン)が野沢温泉スキー場に、斑尾への上り口にあった飯山国際スキー場は、日本初の定員制スキー場、斑尾高原スキー場は第7ペアリフトが新設でパステルカラーのスキー場として、スキーブームが始まってました。

斑尾高原の収容可能ベット数は、約4800人。年間の入り込み客数は32万人だったんです。
ちなみに”72年オープン年の可能収容人数は800人 でも”73年の入り込み人数は8万5千人。

このシリーズも長くなりそうです。

航空写真

本棚を整理していたら懐かしい本が見つかりました。
1974年10月1日発行の、北ア・上信越スキー場の「航空写真」特集という写真集です。
長野市にある信濃航空株式会社が発行元です。

1974年と言えば斑尾高原が開発されて2年目・おらっちには長男が誕生した年でもあります。
ってことは、おらっちがパパに・・・ってか「おやじ」になった年。

斑尾高原スキー場もちゃ~んと載ってます。
案内には、宿として「フジタ斑尾高原ホテル」のほかペンションが13軒です。

ゲレンデの案内には、初心者コース・パラダイスバーン・ジャイアントバーン・エースコース・チャンピオンコースとなっていて、第一パラレルリフトAB線462m・第二リフトAB線495m・第三リフト497m・第四リフト304m、
レストハウスりんどう・・となってます。

中の広告ページもスキーは、NISIZAWA FORMULA
1974.ニューモデル。 今年のニシザワは、芯から新しい。・・となっています。
ブーツは、BYSON
国内大会最多優勝記録を保持するBYSON。
滑るマシン。ヒザのパッドが話題騒然。
デサントデモパン レーサー 速いものは必ず美しい  などがあります。

斑尾高原にはまだこの時、観光協会は設立されていませんでした。設立は1975年10月1日なんです。
戸狩観光協会の事務局は、太田農業共同組合内となっていて「国設戸狩スキー場」です。
妙高高原駅の正面に見える、現在閉鎖いているスキー場も「妙高パノラマスキー場」として載っています。

おらっちの年代には懐かしいんですが、もうそんなに時間が流れてしまったんですね。
スキーもブーツもデモパンも一度は身につけてるんで・・・・。

コラーゲン

年をとると体のいろんなところに支障が出てくるものですが
年でなくてアクシデントによって支障が起こるのが多いのがおらっちであります。
今は特に関節関係が悩みの箇所

そうしたところに役立つと言うか、効果があると言われているのがコラーゲン
てなわけで
この頃こってるのが、コラーゲン入りの「果汁グミ」

あまりにも手ごろなんで
食べ過ぎてしまいます。

おらっちのバッグやポケットには何時も入ってます。
レモン味・巨峰味・シャルドネ&マスカット味・マンゴー味の4種はバッグに・・・・
ポケットに多いのはマンゴー味

ちょっと仲間の間に流行らして・・・・やるか。