遣唐使と妙高山

先日の新聞に、平安時代の僧「円仁」(794~864)の名前が刻まれた石版が、中国河南省にある「法王寺」で見つかった。を見ました。

「円仁」は838年から847年までの9年間中国で天台数学を学んでいます。

遣唐使は630年から20回ほどの渡航があったようです。
「円仁」は19回目の遣唐使として派遣されています。
石版は、道教を信仰する皇帝による仏教弾圧によって、寺の宝物の仏舎利がなくなるのを防ぐため地中に埋めた内容が書かれ、最後に「円仁」の名が刻まれているという。
845年のことで、今から1165年前のことになるんです。

「円仁」は、天台宗を確立した「最澄」(767~822)の弟子になります。
同時代の僧に、真言宗を確立した「空海」がおりますが、二人は18回目の遣唐使の派遣メンバーです。

遣唐使の2回目653年のメンバーに、「道昭」(629~700)という僧がいます。
中国に渡航中の先生は、「玄奘」(602~664)三蔵法師です。
そうです、あの西遊記の三蔵法師です。三蔵法師は僧の位で、名前が「玄奘」です。
「玄奘」は、インドより持ち帰った仏教の経典を漢訳した人です。年代から見ると「道昭」も手伝っていても不思議ではありません。
その漢訳の中で、仏教曼荼羅の中心になる山「須弥山」が、インドとチベット国境にあるカイラス山に例えられ、その山が「妙高山」と漢訳されているとされています。

「道昭」の弟子に「行基」という僧がいます。
奈良の大仏建立に貢献した人で、祖先は越志の国とされ、斑尾山の起源にも出てくる僧です。
遣唐使によって伝えられた仏教の広がりからみて、600年代から700年代頃に、
越志のの中山(こしのなかやま)と呼ばれていた山が「妙高山」と呼ばれるようになったと・・・・

おらっちの推測。

白山での修験道の修行山岳崇拝に仏教を取り入れた
「泰澄」(691~767)も斑尾山の起源に出てくることからも・・・・この頃・・・?

妙という字は、仏教の中では優れていたり、崇拝するひとに使う文字らしい・・・。

妙高山については、2008年にシリーズで書きましたが
何かの時にひもといて見てください。

毎度のことですが、長くてすんません!!。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。