斑尾山麓開発の成り立ち 13

昭和47年(1972)7月10日、47年度斑尾山麓開発促進期成同盟会総会において、

議案第5号 会則の一部改正について、「斑尾山麓」が「斑尾高原」に改められた。

昭和47年度事業方針

経済の発展にともない所得の向上とあいまって、余暇の増加をきたし、さら に道路、鉄道網等の整備により、 余暇をレジャーに求め、くわえて過密化した都市から自然を求める観光人口は、ますます増大する傾向にある。

こうした新しい時代の要求に即応し斑尾高原の開発事業の完成は、 関係市町村の広域的な生活圏等経済の発展に寄与する役割は、きわめて大であり、大衆の保健、休養、スポーツ、自然観察のための健全な場として、計画の早期進展を期するため、次の事業をおこなう。

事業計画

(1) 基本計画に基づき、早急に事業が推進するよう、関係者等の協議、調整をおこなう。
(2) 公共施設および還元施設等の調査研究をおこなう。
(3) 計画、構想、推進にあたり随時役員会、幹事会を開催し調査、検討をおこなう。
(4) 毛無山麓を含めた広域観光圏を構成し、二次開発地域(3万坪)として確保し計画編入するよう、関係機関へ促進する。
(5) 奥信濃地域開発計画に基づく木島平村、高社山麓線および野沢温泉経由線の開発を促進し、 斑尾高原に接続するよう関係機関に強力に働きかけをおこなう。
(6) 飯山市側よりの取り付け道路(延長10,5km)を県道に昇格していただくよう関係機関に強く要望する

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