豊葦の地名由来・・・あるじのガイド

豊葦という地の由来を探し、さかのぼると、舎人親王(とねりしんのう676~735年 天武天皇の皇子)がまとめた「日本書紀」(720年)や、天武天皇が稗田阿礼(ひえだのあれ 7~8世紀頃生没年不詳)によませた天皇家の歴史や神話を、奈良時代になって元明天皇の命令で、太安万侶(おおのやすまろ ?~723年)がまとめた現存する最古の歴史書「古事記」(712年)全3巻の内、上巻の神代の物語、日本神話から始まります。

宇宙ができはじめたころ、天上の高天原(たかまがはら)には様々な神が現れ、瞬時に姿を消していき、これらの神は単身で現れたが、やがて男女対になった神々が次々に出現し、最後に伊邪那岐命(いざなきのみこと)と伊邪那美命(いざなみのみこと)の男女2神が現れたのです。
伊邪那岐命と伊邪那美命は、天津神(あまつかみ・高天原に生まれた神々)からさずかった天沼矛(あめのぬぼこ)を雲の上の天浮橋からさしおろして、海の水をかき混ぜた。引き上げた矛の先からしたたり落ちた子塩が固まり、オノゴロジマ(於能碁呂島)が出来ました。二人はこの島におり、男神の体の余分な部分と女神の体の不足している部分を合わせ、日本列島の形をなす大小8つの島が生まれたとされています。
天浮橋=(あめのうきはし)天に浮く橋であり高天原と葦原中国を繋ぐ空間的な接地であると考えられ、空にかかる「虹」の様なものとイメージされる。
天沼矛=(あめのぬぼこ) イザナギが海へと突き刺した矛。そこからオノゴロジマが生まれた。それは、性行為を暗示しているとも言われている。互いの体の余分なところ、不足しているところを合わせる部分も同様である。

国生みが済むと、様々な神を次々と生んでいき最後にヒノカグツチノカミを
生む時、イザナミは火傷を負い死んでしまいます。イザナギは、地底の「黄泉
国」(よみのくに=正しくは「よもつくに」と読む。日本神話の死の国でありイザナミ
が支配している。暗く邪霊などが住み「黄泉平坂」=よもつひらさか・で現世と分けら
れています。坂すなわち境でありイザナギにより道を塞がれ自由に行き来できなくなっ
たこの境を護るのが道祖神であるとも言われている)にイザナミを訪ねるが、その
醜さに逃げ出し黄泉国と現世の境、黄泉平坂を大岩で塞いでしまいます。イザ
ナギは身を清める為の禊(みそぎ)をすると、捨てた杖や衣服から次々と神々
が生まれ、最後に左目を洗うと、高天原を治める「天照大神」(あまてらすおお
みかみ)、右目を洗うと、夜の国を治める「月読命」(つきよみのみこと)、鼻を
洗うと、海原を治める「須佐之男命」(すさのおのみこと)が生まれました。
しかし、長女の「天照大神」は、2人の弟の狼藉(ろうぜき)や傍若無人さ
を怒り、事を起こしています。

「月読命」(ツキヨミノミコト)は、食物を管理する「保食」(ウケモチ)と
いう神を殺害する悪神として表されています。天照大神は弟の月読命の行為に
激怒し勘当してしまいます。以後太陽と月は昼と夜に分かれて住む様になった
と言う「日月離反」の発祥であります。殺害されたウケモチの体からは多くの
穀物が生まれ、それらは、アマテラスによって人間にもたらされています。そ
のためツキヨミは悪神とされながら人間に食をもたらした恩人でもあります。

「須佐之男命」(スサノオノミコト)の狼藉に怒ったアマテラスは天上の岩窟
天の岩屋戸に引きこもり「天の岩屋戸」事件となる。

この事件が収拾すると、スサノオはヒゲを切られ、爪を抜かれて天上を追放
され出雲(島根県)の国、肥河(ひのかわ)の上流、鳥髪(とりかみ)に降り
大蛇ヤマタノオロチの生贄にされそうになっていた「奇稲田姫」(クシナダヒメ)
を助け、ヤマタノオロチを退治することになります。その後、二人は一緒にな
り、須賀(島根県大原郡)に宮を造り平穏にくらします。スサノオの活躍は、
天界、地上界、冥界と広域にわたる。亡き母を恋い求めてやまない幼児性と傍
若無人な振る舞い、怪力と巧妙な知恵が混じり荒々しい姿を創り上げています。
日本武尊(やまとたけるのみこと)と共に、日本神話の代表的な英雄でありま
す。
スサノオの六代目の子孫に「大国主神」(おおくにぬしのかみ)がいるが、出雲
大社の祭神であります。

オオクニヌシ(大国主)は出雲に行く前、兄のヤソガミ(八十神)に連れ添
い因幡(いなば)国(鳥取県)にて、兄たちにいじめられたイナバのシロウサ
ギを救います。ウサギの予言に嫉妬した兄たちに、オオクニヌシは何度も殺さ
れかけ、祖先のスサノオがいる堅洲国(かたすくに)に逃げ、スサノオの娘ス
セリビメノミコト(須勢理毘売命)と出会いむすばれます。2人はスサノオか
ら授かった支配者の象徴となる太刀と弓を持って地上界に戻り、悪い兄弟たち
を追い払い出雲国を治めることになります。

しかし、高天原を統治するアマテラスオオミカミ(天照大神)は、下界も自
分の子供が治めるべきと考え、雷と剣の神タケミカヅチノカミ(建御雷神)と
船の神アメノトリフネノカミ(天鳥船神)を派遣し、オオクニヌシの息子のタ
ケミナカタノカミ(建御名方神)との力比べの勝ち、オオクニヌシノ一族は地
上の国を譲ることになります。この国譲りは、皇室が祖先神とあがめる天照大
神への出雲国の服従を意味しており、大和朝廷と地方豪族との関係を反映して
いると思われます。

大国主命(おおくにぬしのみこと)や須佐之男命(すさのおのみこと)等の
神々が高天原から降臨した出雲国の様な地、高天原と黄泉の国の間にある人間
が住む世界を「葦原中国」といい、四方を高い葦で囲まれた世界であると考え
られていて、高天原に対し豊葦原とされています。

高天原と豊葦原の関係

高天原には3つのイメージがあり、
第一は、天上界と地上界という抽象的区分での天上界という意味での「高天原」
で、対する地上界が「豊葦原の水穂の国」で、日本列島全体を意味する
第二は、高天原は、宇佐、中津地方を中心とする邪馬台国そのものである。
第三は、高天原が、卑弥呼を盟主とする九州北部から西中国にかけての九州王
朝(倭国)である。これと葦原中国と対比する場合が多く、この葦原中国
とは、出雲を中心として勢力があった出雲王朝を意味している。

葦原中国も、
第一、天上界(高天原)に対する地上界としての日本列島全体。
第二、出雲神話における、出雲を中心とする中国地方。
第三、三世紀邪馬台国時代における、中津、宇佐地方を中心とする豊の国を天下の中心とする北部九州

この様に、神々が降臨する地、日本列島を別の呼び方で、「豊葦原瑞穂国」(とよあしはらみずほのくに)とか「蓬莱」(ほうらい)ともある。

天照大神が、他の神に降臨を命ずる場合、
「豊葦原之千秋長五百秋之水穂(とよあしはらのちあきのながいほあきのみずほの)国」、千秋長五百秋は千年も五百年もで、いつまでもという意味、水穂は瑞々しい稲穂。 豊葦原という長く久しく稲穂の実る国に行くこと。と命じている。

越後の南、周りを山で囲まれ人目につかない土地に入植した先人達が、これから住む場所の地名を考える時、神を尊び敬い、神の近くに居たいと思うのは当然のことで、自然条件の厳しい所ではなおのことである。皇室の歴史や神々の神話をまとめた「古事記」が編さんされ約300年を経過した中で、これらに通じた先人、または「天の岩屋戸」にまつわる戸隠の修験者によって伝えられた、歴史、神話の中より一族の住む場所を「豊葦」と位置づけ呼ぶようになったものと考えられます。

これらから、豊葦村は、伝説、口碑にあるように約1000年前(平安時代中頃)に始まっていると考えられ、樽本村が呼ばれるようになるのは、春日山代を守るため、謙信、景勝時代の天正12年(1584年)の書状に、「信州口や春日山城大手口の砦を厳重に警戒するよう」と命じている。しかし、天文22年(1553年)には川中島の戦いの為に豊葦村・樽本を抜ける街道が戦略目的路と利用されています。この時代に豊葦村に、山沿いにある信州口の砦として城が出来、謙信の家臣「樽本 弾正」(たるもとだんじょう)が城主となり城の周りを位置付ける為に、上・中・下と分けこの地を自分の性をとり樽本と呼び始めたのではないか。城主「樽本弾正」であるが、弾正とは本来、人名ではなく律令制度の役職の位で、正五位と言うのが弾正である。つまり上から五番目ということで「弾正大弼」(だんじょうだいひつ・正五位の上)と「弾正小弼」(だんじょうしょうひつ・正五位の下)という使われ方をしている。城主・樽本は、謙信の五番目くらいの家臣であったと推察できます。

2 Comments on “豊葦の地名由来・・・あるじのガイド
  1. やはり古事記神話の謎は天皇礼賛だけではないいびつな構造をしているある種の正直さが心惹かれるのでしょう。
    古事記神話の構造をザックリいうと高天原の2度の地上への介入がその構造の中心となっている。1度目はイザナギとイザナミがオノゴロ島を作り、国生み神生みを行い、次にイザナミのあとを継ぎスサノオが
    根之堅洲国で帝王となる。第二の高天原の介入はアマテラスによる九州への天皇の始祖の派遣とそれに続く天皇を擁する日本の話でこれは今も続いている。
    これらの2度の高天原の介入に挟まれた形で出雲神話がある。天皇の権威を高めるのに出雲があまり役に立たないのに古事記で大きく取り上げられている。その神話の構造の歪さに我々は心を惹かれる。
    たとえば天皇も大国主も大刀(レガリア)の出どころはスサノオでありその権威の根源を知りたくなってしまう。そうなると島根県安来市あたりの観光をしてしまいたくなる。

  2. やはり古事記神話の謎は天皇礼賛だけではないいびつな構造をしているある種の正直さが心惹かれるのでしょう。
    古事記神話の構造をザックリいうと高天原の2度の地上への介入がその構造の中心となっている。1度目はイザナギとイザナミがオノゴロ島を作り、国生み神生みを行い、次にイザナミのあとを継ぎスサノオが
    根之堅洲国で帝王となる。第二の高天原の介入はアマテラスによる九州への天皇の始祖の派遣とそれに続く天皇を擁する日本の話でこれは今も続いている。
    これらの2度の高天原の介入に挟まれた形で出雲神話がある。天皇の権威を高めるのに出雲があまり役に立たないのに古事記で大きく取り上げられている。その神話の構造の歪さに我々は心を惹かれる。
    たとえば天皇も大国主も大刀(レガリア)の出どころはスサノオでありその権威の根源を知りたくなってしまう。そうなると島根県安来市あたりの観光をしてしまいたくなる。

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