斑尾高原の水芭蕉

AE(アドベンチャーエデュケーション)プログラムのファシリテーターとして三重県の曽爾高原にある国立少年自然の家まで行ってきました。
奈良育英高校の新一年生と楽しく遊んできました。
曽爾高原は、名張市から車で約30分ほど山の中に入った所です。名張市の隣には上野市がありますが、上野市は松尾芭蕉が生まれたところです。
1644年伊賀の国上野赤坂村(三重県上野市赤坂町)で生まれ、幼名は金作、その後「宗房」と名乗り、俳句発表初期の頃(1675年頃)の号は「桃青」でありました。
1681年春、38歳の時門下の「李下」よりバショウの木を一株譲り受け、庵に植えたそうです。そのバショウの葉の広がりが見事なことから、何時しかバショウ庵、「芭蕉庵」と呼ばれるようになりました。
「ばせを植ゑてまづ憎む萩の二葉かな」    と詠んでいます。
1682年、39歳の時初めて公に「芭蕉」の号を使用しています。

バショウは、中国原産の多年草です。草といっても大型で、大きなものは幹の部分だけで2.5mにもなり、全体では4mにもなるバナナの木に似ていて、小さなバナナに似た実をつけます。
大きく目印にもなり日陰の提供や雨をしのぐ事から「旅人の木」ともよばれ、そんな事からも「芭蕉」を号としたのかもしれません。

バショウの学名は、「ムサ・バショウ」で、命名したのは、あのシーボルトなんです。
シーボルトは、江戸時代の生活道具や生物の標本をいろいろオランダに持ち帰っていますが、朱鷺や100年前、1905年に絶滅したニホンオオカミの剥製も含まれていて、シーボルトが送った朱鷺の剥製に1871年「ニッポニア・ニッポン」の学名がつけられたんです。
また、ニホンオオカミの剥製は、日本に3体・イギリスに1体・オランダに1体あるだけだそうです。

成長した葉がバショウの葉に良く似ていて、水辺に咲くことからミズバショウと呼ばれる「水芭蕉」はバショウが名付け親とも言えるんです。

斑尾高原の沼の原湿原や希望湖のまわり、あちこちの水辺には合わせて10万とも20万株とも言われる水芭蕉が咲きます。
雪解けと共に競って花を咲かせます。沼の原湿原でも湧き水が雪を溶かしたところから咲き始めました。
咲き誇る「水芭蕉」の美しさはもちろんですが、シーボルトや松尾芭蕉のことも振り返りながらの一味違った
「高原の花めぐりトレッキング」も楽しいものです。

斑尾高原の自然や動植物、地域の歴史文化、その名前や成り立ちをちょっと違った角度から見たりするととっても興味深くなります。
時間がいくらあっても足りない・・・?
そんなおもしろい話と高原の花畑・・・ご案内いたします。

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