北信五岳ー斑尾山

斑尾山は火山です。薬師岳を主峰(1381,8m)とし、火山としては高いものではありません。第3紀から第4紀(170万年前)という遠い地質時代に出来た斑尾火山群で、西方に妙高山、火打山などからなる妙高火山群、北方に鍋倉山・黒倉山などからなる関田山脈があります。
周辺の山の中では、最も古い火山で浸食が非常に進んでいます。眺める方向からはとても火山とは思えません。

北信濃の人々は、「ヤクシサン」「マダラオヤマ」「マダラオサン」「マダラヤマ」などと呼ばれ、飯山地域のお年寄りは、「マドロ」とか「マドロオ」とも呼び、古くから親しまれている山です。

古い時代には、信濃の国では斑山(まだらやま)・越後では斑尾山(まだらおやま)と呼ばれていました。

斑尾山の最高峰は「薬師岳」でその西方の峰を「大明神岳」北方の峰を「北峰」斑尾高原の宿泊施設がある方向からは山頂のように見えるため「仮山頂」と呼び、この3峰に囲まれた西側は急な崖のようになっていて、噴火口を思わせたりしますが、岩石等などから噴火口壁ではなく、爆裂火口であると言われています。

東側に残る火山斜面を基に、接峰面図から等高線を西側に延長し、周辺の丘陵や山地の接峰面図の等高線を接続する方法があるらしいが、その方法で斑尾火山の浸食される前の地形を復元すると浸食前の斑尾山薬師岳は約1900mの高さがあったと考えられるといいます。
斑尾火山は、だいたい100万年前の火山で、40~30万年前に周辺に火砕流を流れおとし活動を終えたとされています。

薬師岳から4方に尾根が延びているが、最も大きな尾根は西側に延びていて、寄生火山である「割ヶ岳」に続く「石原山」(1100m)「釜石山」(1020m)の峰があります。
南東の延びる尾根は、「大平山」(1170m)「扇平」で終わっています。
東北の尾根は、急に下り裾野状山麓を造り、昭和10年代は牧場として、47年には斑尾高原リゾートとしてオープンしています。
北の尾根は、万坂峠に至り、袴岳に接しています。

斑尾火山は山自体が小さいわりに側火山が多く、山麓を取り巻くようにありますが山の中腹には一つもありません。
側火山は、西に、城山(842m)倉山(1064m)その南に、城の越山・赤田山・花ヶ入山・の小トロイデがあり、
西南に、割ヶ岳・柴津山・石乗山・その南に薬師岳・舟岳と多くあるのに対し
東側は、郷路集落の西に、月夜岳(869m)沓津集落跡の西南側に小トロイデの干草場(910m)のみになってます。

南東に延びる尾根の先にある「大平山」(1170m)は、文部省唱歌「ふるさと」で、うさぎ追いし、かの山と唄われている山です。そこから流れでる川、斑川が、こぶな釣りし かの川なんです。

決して、かの山は斑尾山で(斑尾山でも間違いではないが、高野辰之先生が想い詠ったのは大平山だと付け加えてほしい)、かの川は千曲川だなんて、私達斑尾高原の者は訪れるお客様に説明をしないでください。

私達や飯山の人たちが、地域の情景が文部省唱歌として唄われていると話すとしたら、高野辰之先生が小学校の教師時代に飯山に下宿していた時の千曲川周辺の情景を描写した「朧月夜」(おぼろづきよ)だと思いますが・・・・。

北信五岳・・・5回シリーズです。
次回は、妙高山でいきたいと思います。

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