長野県歌・信濃の国

この間、「信濃の国」の経緯を聞きかじった中で、どうして北信地方が詞の中に出てこなかったんだろうと漠然と考えたら・・・
一つは作詞の浅井 列氏が松本(中信)の人だったことや
信州(長野県)が廃藩置県で統合されてきて経過、県庁が松本でなく長野に置かれたことなど様々な経緯からが推測されておもしろい・・・・

いずれにしても、多くの郡が再編され、一つの県になった事により、長野県を「信州合衆国」と呼ぶ人もいるくらいですから・・・。

ところで、「信濃の国」の5番に・・(長野県出身の著名人)の歌詞
旭将軍 義仲も  仁科の五郎 信盛も    とある
信盛ですが、
いろんな記事に出てくる仁科五郎盛信とどう違うの・・・?    ってことで・・・・

仁科五郎盛信って誰。
盛信は、今や話題の武田信玄の五男で、長野県の大町地方(白馬方面)の豪族「仁科」の姓を引き継いだ人なんだよね~。
「風林火山」でも仁科の姫が出てくるけど・・・
後に、高遠城主だった1582年に織田の軍勢に攻められ戦死しています。

どうも、同一人物のようです。

作詞家の浅井さんは・・ちょっとなれナレらしくてすんません。
江戸時代の書物の研究家でもあったらしく、江戸時代に出来た書物「甲乱記」という書物などには「信盛」と書かれていることから、そのように詞にしたものと言われています。

大町市やこの地域に残る古文書に残る自筆のサインには「盛信」とあるらしい。
他にも多くの文書にもあることから
現在では、「盛信」が一般的ということです。

でも、長野県の武将といえば、真田幸村って人もいるのに・・・。

この5番の、義仲ってのは平家を最初に破った「木曽義仲」のことで、
木曽義仲だって本当は、出生地は埼玉県なんですけど~。
武蔵の国大蔵館って所、現在の埼玉県嵐山町で、幼年期に木曽に逃れて来たんです。
最初に、越後の平氏の討伐時には、斑尾の西(妙高高原駅の東山)熊坂山に陣を張ったんですよ。(1183年平安時代終期)

他には飯田出身の江戸時代の経済学者「太宰春台」、松代出身の思想家「佐久間象山」が詠われています。

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