おらっち達、長野県人は海を見るとどうしてもはしゃいでしまいます。
海が無い県として、海への憧れや山ばっかし見ているせいで、あの広々とした大きさに心がうきうきして、あの山の向こうには何があるんだろう・・・より、あの海の向こうには何があるんだろう・・の方が想像したときわくわくするのかも・・・
「信濃の国」の1番にも、「海こそなけれ 物さわに」ってあるとうり海に遠い県で、海は憧れだっかもしれないのが、3番に出てくる「諏訪の湖には 魚多し」の湖を「うみ」って読ませています。
きっと、作詞の浅井 さんも松本の人なんで海には憧れがあったもかも・・・
12月5日の信濃毎日新聞に、「琵琶湖就航の歌」の記事が出てました。
作詞者と作曲者の不思議なつながりを長い間調べ、自費出版をした元NHKアナウンサーの飯田 忠義さんの記事です。
「琵琶湖就航の歌」・・・「我はうみの子・・・」ですが
「我は海の子 白波の~」ってのは文部省唱歌の「海」で
「我は湖の子 さすらいの~」ってのが、「琵琶湖就航の歌」
加藤 登紀子さんが歌って大ヒットしたんで、印象が強く「海」を歌うときうっかり「琵琶湖就航・・・」の調子で歌っちゃうこと・・・・ありません・・?
ここに出てくる「湖 (みずうみ)」はもちろん琵琶湖のことだけど
これを作詞したのは、諏訪湖のほとり岡谷市出身の「小口 太郎(1897~1924)」って人。
小口 太郎が、旧制三高(今の京都大学)のボート部で部員とボートで琵琶湖を巡っているとき書かれたそうです。きっと生まれ育った諏訪湖の情景を思い出しながらとも想像できます。1917年(大正6年)のことです。
それと、明治33年に発表された「信濃の国」の歌詞に湖が「うみ」となってることも影響し、湖を「うみ」としたもかも・・・。
ちなみに、作曲者は新潟市出身の「吉田 千秋(1895~1919)」って人。
独学で作曲を学び、1915年に発表された曲で、当時三高で「ひつじぐさ」という歌で流行ってたこの曲に、この詞をあてて新入生の歓迎会で歌ったところ評判になり広がった・・と書かれています。
また、この二人は一度も会うことなくこの歌が誕生し、二人とも二十歳代でこの世を去っており、好奇心旺盛で穏やかな性格など、「二人はいろいろな面で似ていた」と長年取材をしてきた飯田さんはコメントしています。
岡谷市の釜口水門に近い諏訪湖畔には、小口 太郎の銅像が諏訪湖を見つめるように建ってます。
それと、加藤 登紀子と小椋 桂は共に東京大学のボート部に籍を置いたことがあるらしいですが、今でも歌い継がれている京都大学ボート部の「琵琶湖就航の歌」と加藤登紀子が歌うのとは、ちょっとメロディーが違うということを聞いたことがありますが、知ってる方・・・教えてください・