斑尾山とスキーのかかわり 2

大正2年(1913)1月12日と3月

飯山中学校(現飯山北高)の寄宿生が斑尾山にスキー登山。

昭和7年(1932)1月30日~31日

第10回全国スキー選手権及び第6回明治神宮スキー大会予選会が神明が丘に雪不      足のため、分道スキー場で開催。選手と役員は分道と堂平に分宿。

昭和8年(1933)11月16日

分道スキー場にヒュッテが完成。 分道に飯山最初の民宿が2軒誕生。(ご飯とみそ汁付きで一泊50銭,1軒5~6人の宿泊であった。)

昭和9年(1934)

1月6日 飯山、田口(妙高高原)間約20kmスキーツアーコース開きを分道スキー場ヒュッテにて開催。

1月28日、飯山、斑尾、田口スキーツアーコース開きでツアー実施。

2月18日、名古屋鉄道局主催の、田口、斑尾、飯山間スキーツアーで、女性子供を含め80名余りが完走。

昭和16年(1941)

2月16日 全国皆スキーに併せ飯山町民スキー行事で、坊主山と分道にてスキー行事実施。

昭和32年(1957)

3月10日 田口、斑尾、飯山スキーツアーが復活し、33年3月2日、34年3月1日、36年3月19日、42年3月19日と実施されている。

100年以上前から斑尾山でスキー行われていたのです。

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