斑尾山麓開発の成り立ち 2

昭和39年(1964)8月飯山市は市制10周年、10月1日には東海道新幹線が開通、10日からは第18回オリンピック東京大会開催(94ヶ国 5541人の選手が参加)、11月9日佐藤栄作内閣が成立など日本経済は大きく動き始めました。

40年代に入り、驚異的な高度成長を遂げた日本経済と共に、行政側より開発の動きが始まり、12月信越経済協議会において、斑尾山麓地域の開発計画が浮上、長野県と新潟県とを結ぶ林道沼・万坂線の道路改良を足がかりに、昭和40年(1965)6月8日「林道沼・万坂線期成同盟」が結成されたが観光開発のためには土地提供という形での地域の協力が必要であったため、計画ははかどりませんでした。

しかし、行政の動きと共に地域住民の側でも斑尾山麓の開発を推進しようという気運が次第に高まりつつあったのです。

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