斑尾山麓開発の成り立ち 5

昭和41年(1966)9月25日、準備会の熱心な働きかけで斑尾の地を訪れた、長野県企業局公営企業管理者である相沢武雄氏はじめ局の課長、係長、春日飯山市長、高橋県議会議員、江村観光課長(いずれも当時)他一行は、大川より大平を経て沼の池、分道より妙高村(当時)地籍の沼の原湿原までを視察、斑尾山麓の雄大かつ幽玄な自然に深い感銘と観光開発の限りない可能性を感じ、「菅平方式」による当地の開発に心良く賛同の意を表したのであります。

11月8日、豊田村(当時)を視察。涌井から軍平街道を歩いて涌井スキー場を視察。

12月3日、斑尾山の総合開発打ち合わせが飯綱観光会館で行われ、春日飯山市長の提唱で、野沢温泉村、豊田村の関係者、そして妙高村、高田支庁の関係者の出席もあり賛意を表したことは特記すべきことであったということです。

12月18日、黒姫山山麓の「シャレー黒姫」の竣工式の挨拶で、相沢構想の一端として斑尾山鉢巻道路開発は、夏だけの野尻湖が東山麓のスキー場とタイアップすることにより、冬季に野尻湖へと多角化され、反対に冬の東山麓が野尻湖へと結び夏向きのものとなる。斑尾と野尻、山と湖の一体的開発は北信濃の開発の一大拠点となると示唆しました。

また、25日の視察時、分道の裏山に登り、妙高村(当時)の地籍開発には村境を撤去する必要、官行造林地帯の折衝の必要性の見解を示され、沼の原湿原方面では、妙高村および東北電力との折衝、協力を求めて地域を確保すれば「森と湖」のような北海道風な観光地となる感想を述べています。

8日の視察時には、涌井スキー場の上部には永田村財産区の山があり官行造林地帯であるが、個人の土地があるのも気がかりである。村で買い上げ菅平方式を適用するのが望ましいと思うとも述べられ広域観光の可能性を語っています。

斑尾山を核として「雪の飯山」と「夏の野尻湖」を有機的に結び、山と湖の一体的な開発を図り地域住民の福祉の増進を目的とした長野県企業局の計画の基であります。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。