妙高山・その一

様々なところに表示されていることについて不思議なこと・・・・気が着きました。
天気の良い日には必ず見ている妙高山ですが、その紹介文は、この様になっています。

「妙高山は、古くから信仰の対象として山の神と仏教の思想とが習合した信仰の厚い山と言われています。その歴史は、今から約1300年前の和銅元年(708年)に裸形上人が妙高山頂を極め、開山したのが始まりとされています。」

ここで疑問なのは、708年に誰かが妙高山頂を極め開山したのは良いのですが、
裸形上人というのが問題になるのです。
裸形上人という人は、インドの人で仁徳天皇の時代に熊野の海岸に漂着した人とされているんです。
仁徳天皇は第16代天皇で、その年代といえば313年から399年なんです。
もし、その年代からちょっと外れたとしても、708年に妙高山に登った時は年齢が約300歳になってしまうんです。

熊野に神が祭られたのは崇神天皇の頃(紀元前97年~紀元前30年)と言われてるし、熊野の神社や寺には、裸形上人が開祖として関係してるし・・・どうなってるんでしょうね。

妙高山に関しては、インドから漂着した裸形上人とは別の裸形上人を名乗った人であるか、この時代にこの地方に関係のある「泰澄法師」(682年生まれ) 「行基」(668年生まれ) 「役行者」(634年生まれ)の誰かか・・・?。

708年とすれば、泰澄法師は26歳・行基は40歳・役行者は74歳である。

違いのあるのは、それぞれの伝承で当然とは思いますが
こんな話いっぱいあるんで
おらっち、おしゃべりガイドとしては話題等には事欠かないのであります。

あれから25日です。

本日13時、罪を許されて足からオモリを外していただきました。
3週間ぶりです。・・・そして悪夢から25日たちます。

見るも無残な青白く細~ィ・・・・左足を想像してたのですが
ぱっくりと割れた白~ィオモリから出てきたのは・・・・

桃太郎でした。・・てな訳あるわけね~よな。

ドクターいわく、がっちりとした良い足してるんだ~。  関節の骨もきれいだし、ゆっくりと動かして行きましょう。・・・だって!
リハビリも家で、風呂にはいって暖めてから自分でやればいいよ。・・・だって!。

しかし、ふくらはぎ・大腿部の筋肉は、ギブスをつけていた時のトレーニングが効いたのかバッチシなんだけど、かんじんな膝に力が無く ふにゃって行きそう。
でも、膝は痛みもなく90度までは曲がりました。

実は、入院中右足の筋トレしすぎて親指に痛風でちゃったんです。
ドクターいわく、病院の食事で入院中に痛風?かぁ~~・・・・ハッハッハァ~~だって。

痛いんで薬くださ~い。
薬なんてねェ~よ。 まッいっぱい水分とって尿酸出すのがいちばんの薬だな。

その夜、3リットルちかいあらゆる水分とって、朝までのうちに痛い足ひきずって(どっちの足悪いんだかわかんなくなっちゃいました)
10回近く必死に尿酸出しました。
そしたらどうでしょう・・・・痛みがひいたんです。
やっと、怪我したのは左足だったんだと思えました。

今夜はシャワーでなく、ゆっくり湯船につかるぞ~~。
ドクターいわく、もう1日がまんして・・・傷の所の抜糸したんで。・・・だって。  トホホ。

膝曲がるんで、足上げてつかるぞ~。 お祝いに酒も飲んじゃうぞ~。

足は自由でなく痛くも無くで、内蔵はなんともなく、こうゆうのって困るよね。
楽しみは食って、飲んで、寝るだけなんで・・・体重が心配

まずは一安心です。体重は2キロ減ってました。

ご心配いただいた方々にはご報告かたがたお礼をもうしあげます。
そして、様々なご迷惑をお掛けしました。   感謝・感謝です。

予期せぬ出来事

7月2日、雨が降ったり止んだりの午前でしたが、午後になって日差しも強く暑くなったのでちょっと体を休めに、食事つきで昼夜を問わず全てをケアしていただけるホテル・・・?に12日間ほど滞在して来ました。
フィットネスルームもあり終わった後はマッサージもしてくれるんです。
部屋には、車椅子も用意されていて移動も歩かなくていいし、手が痛いといえば後ろから押してくれたりもします。

ホテルに行く時には連絡(62-0119)は必要ですが、
前もっての予約は必要ありません。

急ぎの場合、赤色灯を点けピーポーピーポーと音が出る車で迎えに来てくれますし、入ると直ぐにレントゲン・CT・心電図などの全身チェック等があり、傷などがあると直ぐに処置してくれます。
また、傷が少々大きいと痛みが無いように注射なんかして、傷口を縫ってくれます。
せっかく休みに来たんだからとあまり歩き回らないように、足にはけっこう重たく硬いもの巻きつけたりもしてくれます。
チェックが終わると、ベッドに寝たまま部屋までつれてってくれるし、元気の出る水を直接血管に入れてくれます。

とにかくいたれりつくせり・・・・です。

14日には、どこか遠くに行かないようにと左足には足かせを付けたままでしたが、名残惜しく家に戻って来ました。

滞在中は、多くの友人が部屋まで訪ねてくれたり、一人の友人は3日間ほどわざわざ、おらっちの部屋の近くに部屋を取り滞在し時々顔を見せてくれたりしてくれました。
皆さんの心づかい本当にうれしかたっし・・・ありがとうございました。

滞在中、いろんなことを考えましたが人間一度に二つのことは出来ないんだな~と、つくずく思いました。
例えば、車を運転しながらお昼寝はむりだとか・・・・。
確実に一つづつ、運転する時は運転。昼寝するときは昼寝。

休み癖がついたのか、家に帰っても元気になるように、食事後必ず錠剤の栄養剤・・・?を飲み、関節にはあまり太くならないように冷たいものを貼ったりして休養の毎日です。

休養中多くの皆さんにご迷惑をお掛けしまして、またご心配をいただき
誠にありがとうございました。

ただただ、自分ひとりでよかった。人に痛い思いさせなくて良かった。

不幸中の幸いって思うしか・・・・・。
家族の皆にも感謝、感謝。

飯山の歴史

この間、ある研修会の中で講師の方から「飯山」ってどうして飯山と呼ばれたんでしょうという質問がありました。
飯笠山八幡神社の関わりなどで、今までそれなりの事は解ってたつもりでしたし、その時答えた頂いた方と相違はありませんでしたが
ちょっと、おらっちの中にあるものがウズウズしてしまいまして
ずー~と気になってました。
昨日から、その解明にのめり込んでいます。
参考文献をそろえるために、関係する本やインターネットを駆使して・・・・老眼が進みそうです。
プリントアウトした枚数は60枚以上になろうとしてます。
これからが大変なんです・・・・おらっち流のやり方なんですが
関係人物・地域・場所・年代等をを系図にして行き、関係付けて物語を検証して文章化するんです。
時代をさかのぼると、資料によって年代も変わるし、人物の関わりも変わります。
でも、これをつなぎ合わせるのが・・・・楽しいんです。
事実が分ればベストですが、それがなかなか
残された資料から、おらっちの創造が出来るのがおもしろいし、そこから読んでくれる人が、それを基にその人流に想像するのもおもしろいんです。

飯山を語るとき、さかのぼるとどうも鎌倉時代の初期1213年にまでになり、そこからの関係づけになりそうです。

近じかのおらっち説に・・・・・・乞うご期待ください。

また毎日見ている「妙高山」のお話
妙高山っていう言葉、最初に言ったのって三蔵法師なんだ。
西遊記に出てくるよね、三蔵法師って固有名詞じゃなくて、西遊記に出てくる僧侶は「玄奘」(げんじょう)という名前なんです。
この話、トレッキング途中妙高山見ながら、おらっち調で話~そ。

お弁当もって、飯山の話は・・・・大平峰
妙高山の話は・・・・袴岳    かな。

斑尾山って最初に言ったの、誰なんだろう?・・・・・気になって眠れない!。
猪八戒とか孫悟空だったら・・おもしろいんだけど
そんなこと、あるわけね~よな。

モリアオガエル

袴湿原で話をしようと思ってたら、近くでモリアオガエルが産卵を始めてしまいました。
モリアオガエルは木の上に産卵する事で知られてます。
モリアオガエルは、山の中の人が来ない処で産卵をして、イメージは結構神秘的なところがあるんだけど

山の家の下、某スキー場に勤務の○辺氏の家の下、大きなカーブの道路わきの水溜り上です。
なんでこんなとこに・・・・
今、産卵の真っ最中です。

実は4年前からこの時期に決まって産卵してます。

あの、泡みたいなのは、メスが産卵の時に出すんではなく、メスが産卵したのをオスが数匹で後ろ足でかき回して泡にするんです。
卵が木の上で乾かないように泡で守ってるんだよね。

産卵時は、一匹のメスに4~6匹がとっついてます。

木の上の泡の中でおたまじゃくしになって時期がくると下の水溜りに落ちていくんです。
水溜りに落ちてかえるになるんですね~。

近くだから見に行ってください。
けっして棒なんかで突っつかないこと!。

かえるになる頃、かえるをねらってヘビちゃんなんかが来たりするんだ。