ミズバショウと新緑トレッキング

今日の午前中は、観光協会が企画している「ミズバショウと新緑トレッキング」に参加されたお客様のガイドとして、赤池周辺のブナ林に行ってきました。

2泊3日の日程で、最初の日は沼の原湿原をトレッキングされミズバショウの群生を見た方々です。
赤池周辺の新緑の美しさをブナ林の中で感じていただこうと思ってましたが
とにかく雪の消え方が遅く・・・・どうしようもありません。
赤池の管理棟の駐車場は、まだ平均して2m近くの雪が残ってます。

それでも、やっとイタヤカエデの木には、黄色い小さな花が咲き始め
炭焼き小屋の近くのオオヤマ桜にも濃いピンクの花がさき始めています。

2m近い雪の林道沿いに、炭焼き小屋を通り、展望台までの往復のルートしか仕方なく
おまけに、花は無いし、木にはっぱも出てない、ネタなしの状態。
とにかく、お客様の為にしゃべりまくりました。

斑尾山、袴岳、妙高山、黒姫山、豊葦地区の歴史から始まり、野沢方面の山、その奥の栄村、そして最後には、次の大河ドラマ 山本勘助の話まで・・・・
普段の口数の多さがさいわいしたか・・・・な。

新緑トレッキングでこの話・・・・お客様はどう思ったでしょう・・?

斑尾ってこんな所、周辺はこんな感じのところ、自然も歴史も、暮らす人はこんないろんな人がいて斑尾高原というところに地域が出来てきたんです、これら全てに興味を持ってもらって、また訪れてもらいたいって
いろんな話・・・したって訳です。

それでも、花に関すること、木に関すること、地域の文化・歴史に関すすることしゃべり、なんとか時間を調整し自分なりに80点くらいの出来と思ってるときにかぎって、
「いま、飛んでった鳥なんですか」
「いま、鳴いてる鳥なんですか?」        だって。

ありゃりゃ・・・まったく不得意の分野に質問。
ひたすら、「すんません・・・勉強不足で・・・・
カラスとニワトリの区別は・・・つくんですが・・」。
これの印象が皆さんにのこっていたら・・・と  冷や汗だらり。

必死で別の話に切り替え、やたら・・・愛想笑い、得意な駄洒落もでません。

大雪の為に、トレイルの道標が斜めになったり、木がいたるところで折れたり倒れたりしていて、雪が解けると切り土したトレイルが崩れたりしていると思うし、また会員の出役で整備をして、気持ちよくお客様に歩いていただけるように

がんばろッ!。

J・Jazz・NetのPLAY LISTからTHE・PARK でも聞きながら読んでね!。

斑尾でテニス

やっと気温も上がり目で雪解けも大分進んだよね。

ぽかぽかしてくると楽しみの虫が動き出すらしく、2m近くもある雪を早くなんとかしたい人や、あれだけこき使ったピーター君を雪も降らないのに
細長い四角の地べたで、あっちとこっちで毛の生えたようなタマを硬い団扇に糸張ったようなもので打ち合うために
まだ、こき使う人がいたり・・・・。

でも、冬の仕事とちがった体の筋肉使ったり、頭脳使ったり、同じ話題で罵り合いながら、講釈こきながら酒飲むのも・・・楽しくていいよね。

健康に良いからってテニスやって、終わったあと酒飲む機会が楽しみになると
なんのためのテニスか・・・わかんね~よな。

健康のために、ふんじゃッてテニス始めようと、とりあえず勇んでカベ打ちして家に戻ると、女房が「今日、どうだった・・・?」  って聞くんで

「ばっちしさ!。スポーツ万能なおらっちじゃん、反射神経良いんで、ボールが来ると頭脳がさッ、おらっちの体に命令するんだよ。
「左にはしれッ! とか後ろにさがれッ! 前に出ろッ! ってさ。

「ふ~ん・・・・ それで・・?」

「するとさ! こんどおらっちの体が頭脳に向かって答えるんだよ」

「えッ、だれのこと、おらっちのこと・・?」ッてな。

おらっちだってやりゃ~うまいんだよ。
体と頭脳が、ちょっとバラバラだけど・・・。
ラケットもってるだけじゃ・・・・頭脳も体も鍛えられね~し。

テニスに関する小話をひとつ・・・・?・・・ふたつ。

その 1
昔よその国では、上流階級やそれにあやかりたいと思ってる親を持つ女の子達はテニスをうまくなるように、しつこく言われてたらしい。
テニスという球技によって、タマというものの大切さ、捕らえ方の難しさを味わされ、股の間からタマを後ろにそらすようなドジは絶対に許されず、経験豊かなレディー達がタマを右に左に巧みにさばく様をしっかりと見せられてたと言います。

その 2
テニス熱心なおやじが、娘がどうしてもテニスをやりたいと言うんで、一から教え始めた。

「そんなにやってみたいんなら」
「いいか!まず違いから言うよ。タマには毛の生えたのと、すべっとしたのとあるが、本当は毛の生えたほうがいいがちょっと難しいし、いきなりは無理かもしんねえ。」
「わかったわ。じゃプレーの仕方教えてよ」
「いいよ。 最初のポイントはラブだ、ラブって言ってみな」
それをたち聞きしてたお母さん。
「おとうさん! なんてこと教えてるの! 性教育だったら私がするわよッ」

「バカ、娘になんてこと想像させるんだッ!  テニスの話だぞ」

ジャン、ジャン  ッてな。  

今年はテニスでもやるか!・・・・小回りがきく足ももってることだし。

酒ものまね~で、昼からこんなこと書いてんじゃね~よ.。   ッてか。

おすすめBGMは、JJazz NetのPLAY LISTから THE MARKET

音楽講座

今日、RAY・CHARLESのgenius・loves・company(ジー二アス・ラブ~永遠の愛)のCDが手元に届きました。

2004年6月10日 73歳で偉大な生涯を閉じたレイ・チャールス
彼の生涯は、映画「Ray」で忠実に描かれています。

彼のヒット曲は数え切れないほどあるが、「Ray」の映画では曲に関する逸話の真相が受け取れておもしろい。
おらっちの年代では、やはり印象があるのは「WHAT’D・I・SAY」や「GEORGIA・ON・MY・MIND」だよね。

「我が心のジョージア」はスタンダードナンバーを彼独特のスタイルでカバーして大ヒットしたんだ。
この曲は、1930年に発表されたんだけど作詞・作曲はなんと
前にブログ「スター・ダスト」のなかで紹介した
ララミー牧場の爺やでもあり、スターダストの作曲者でもある
ホーギー・カーマイケルなんですよ。

曲のイメージは、土と草の臭いがする望郷の歌 って感じだし
アメリカ南部の香りが高いジョージアを歌ったものとして、ジョージア州の正式に州の歌として定めたというのは、映画「Ray」を見ると経緯が良くわかる。

しかし、この歌はカーマイケルの妹「ジョージア」のことを歌ったとも言われているし、架空の土地のことを歌ったとも言われていておもしろい。

いずれにしても「我が心のジョージア」と言う響きはこれらの全てを感じさせてくれるようなきがします。

初めて発表されたのは、1930年9月でヴォーカルもカーマイケルだったんです。

ビッグ・マウス・オーケストラのメンバーの為の音楽講座でした。
その内、映写会と飲み会を合わせた音楽講座を開きたいと思います。

メンバーの中には、ネットでサックスを狙ってる奴がいるらしい。
それぞれ、着々と準備に入ってるのかな・・・?

おらっちも、カスタネットで手の平の返し・・確認と練習。

ちょこっとJAZZは
JJazz Net のPLAY LISTから THE STATION を選択。

希望湖のバス釣り

希望湖の解禁が5月13日にずれこんじゃたけど
この残雪とこの天気じゃ・・・しょうがないね。

釣りといえば、いっぱい釣るか・・・でっかいのを狙うかだけど
希望湖で釣る奴は、でかいのを釣ったんだと自慢するのが多いいと違う・・・?。

希望湖でわかさぎだの・・・バスの餌にされるはかない命の魚達にも
気持ちよく釣られたいと思う気持ちはあるよね。

だから、バスの大物を釣って自慢げにしてる奴に
おらっちなんか・・・・
でっかいのを一匹釣った奴に、小魚いっぱい釣って紐に通してそいつの
前にいって言ってやったぜ
「ヘン、たった一匹か」って
これって・・・・負け惜しみってやつ!。
小魚だって・・同じ魚だ~い。

負け惜しみ・・・もうひとつ。

バス釣りのことなら誰にも負けね~様なこといってる奴に
「どうだ、こんなデッケエのつったことね~だろう」   ッて自慢されたんで

おらっち、「へ~ 、それでっけえんだ。
そのくれえのでっけえと思わなかったんで、クソッ~こんなの又かよって言ってリリースしてたぜ」。

へッ  ざま~みろ!。

去年のある日の希望湖での話でした。

今年こそは、餌つりでもなんでも良いからでっかいのを釣って・・・写真撮って
奴の前で、何気なくヒラ~リと写真見えるように落としてやる。

もうすぐ、その季節。