今年、春はくるのでしょうか?

昨夜の天気予報では、斑尾地域は40cmの積雪とのこと
夜中の風の音から察すると・・・・・やな予感。

朝、案の定除雪の為に7時外に出ると、おらっちの膝上まであるではないか。
いくら、おらっちの足が短いとは言え60cm近くはあったぜ。
おまけに、風は吹きまくり、除雪をするにもゴーグルをかけ、完全装備。
こんなことを、今年は何日したことか。
春なんてとっても遠いことのように思えるし、ほんとに来るの…?

この間、25日の日かな… 雪の晴れ間の夜
「ごはんや あちゃ」の、ボスそして一の子分…?  が休日の最後の仕上げに
顔を見せに来てくれました。

一の子分の最初の一杯、350mlのレモン杯・・・いきなりゴクン  よほどノド乾いてたんだな~
おかわり・・おねがいしま~す。  二杯目も、いいペース   久しぶりの休みだモンナ~
つまみは、子分大好きなJAZZYの餃子とえびピラフ
いつもは、えびピラフなんだけど
本日。おらっち得意な「裏メニュー」の特製チャーハン・・・食べてみる~。
いろんな野菜と挽肉、豆板醤を使ったピリからチャーハンをサニーレタスに乗せ、それをライスペーパーで包んで食べるんだよー。
好みによっては、特製のコチュジャン入りのたれをチョイ付けで・・・

ボスと子分に大満足してもらいました。
おまけに、これも「裏メメニュー」だけど 皮に唐辛子を練りこんだ水餃子ご馳走しちゃいました。

ボスと子分 アルコールのペース上がっちゃいました。
おらっちも、次の日イントラだけど、いっしょに芋焼酎のお湯割り・・・ペースあがっちぃました。

建設的で、今おらっち達がしなければいけない事、自分が信念をもって自ら始めなければいけない事、今斑尾で必要なこと
いろいろ  しゃべり・・・心はすっきり・・・気持ちは・・・ちょっと悪くなってきたぞ~。
子分…曰く はきそ~  きもちわり~     おいおい。
時計を見ると1時回ってました。
二人は・・・きっと明日は 二日酔いだな・・・おらっちもあぶね~ぞ。

久しぶりに  いい酒 飲みました。
あちゃの二人 ありがとさん。
明日から また  

申し訳ございません

雪もやっと小康状態になりやれやれです。
休む暇なく一本の電話が鳴りました。
私の特技…?を是非、お願いしたいとの事で、また歴史でも一席自分の自論でしゃべりまくるか・・・なんて思っていましたら
口ではなく、体を使ってくれとのお願い事でありました。
なんと・・・
高校生のスキー教室のインストラクターを3日間務めることでありました。
電話の主は、斑尾高原で、おらっち住人と同様開発当時からスキー学校を開校している小滝アメリカンスキースクールの校長であります。
話せば長くなりますが、校長は開発当時からの斑尾高原を語れる1人でもあります。
住人は斑尾高原観光協会の役員を務めさせていただいてますが
いわゆる春から秋のグリーンシーズンに協会が中心になってトレッキングを展開しています。
住人はその中でネイチャーガイドをしてますが、シューズメーカーの「ライケル」と校長のご手配により観光協会は提携を持つことが出来たんです。
その結果、斑尾高原のトレッキングガイドは全員「ライケル」のトレッキングシューズをはいて、”足取り軽やかに”ガイドを務めているって訳です。
そのお礼ではないんですが
いいですよっ・・・と二つ返事で受けてしまいました。
考えて見ますと、その日、おらっち今シーズンの初すべりなんです。

それで、おまえ・・イントラやるのかっ・・・って
絶対仲間に言われるなとよぎりました。

この高校は、毎年斑尾高原にいらっしゃって頂いていてほとんど全員がスキー経験者で、そこそこのレベルなんです。

しかし、おらっちは本当はスキー結構上手いんです。
ちょっと自慢話になりますが
今でこそ「モーグル」は有名ですが、コブの中を跳んだり跳ねたりするのを
「ホットドック」なんて呼ばれていた頃、その当時ではあまり見かけなかった160cmくらいのショートスキーを履いて斑尾高原スキー場のエキスパートコースを
「跳んだり  跳ねられたり」
してたんです。
そして、斑尾高原では、ただ一人バレースキー(今は アクロ)ってのもやってたんです。
今日で、スクール2日目でした。
とっても性格のいい高校生9人を引き連れて楽しくやってます。
短期間で技術の習得は難しいですよね
楽しくやることが一番。  おらっちのモットーです。
今夜になって ちょっと筋肉痛です。
高校の先生、スクールの校長に内緒で、むかし取ったキネズカ…?
バレーのアクロバティックの技 特別見せてやっちゃいました。
みんな、きょとんとしてから・・”すっげえ”の声
おらっち 得意顔、エッヘッヘどんなもんでェ
の1日でした。  明日最終の1日があります。
がんばりますッ

斑尾高原のジャズフェスティバルは

斑尾高原が、ホテルを中心にペンションヴィレッヂを展開する新しい容の滞在型リゾートとして開発され10年を迎えようとしている1980年頃、開発10周年のメモリアルイヴェントの準備が話し始められた。イヴェントの一つに、冬はスキー場のゲレンデとなる芝生のスロープを客席にした野外のジャズフェスティバルが提案された。

1954年に始まった、アメリカ、ロードアイランド州のリゾート地ニューポートでのジャズフェスティバル、1958年、5回目のフェスティバルのドキュメンタリー映画、「真夏の夜のジャズ」。

これを見た13人のペンションの酒好きおやじ(当時は若者・・?)が夢を膨らませ動きはじめたのです。この中にジャズ好きな「あるじ」も居た訳です。

これは10周年を機に再度、斑尾高原をアピールし地域の活性化を図ることだったんで斑尾のペンションオーナーはじめ関係機関、関係諸団体等にご支援ご協力、ご理解して頂いたのは、本当にうれしかったです。こうした事が無かったら現実に成っていなかったと思います。

何から何まで、素人集団の手造りの中、理想はナンバーワン(恐れを知らない素人の強み)。No.1のリゾート「斑尾」、No.1のジャズフェス「ニューポートジャズフェスティバル」、No.1のビール「バドワイザー」。そして、No.1のアーチストを揃え、1982年7月27日 午前10時。スパイロジャイラの「モーニング ダンス」。ジェイベッケンシュタインのソプラノサックスから音が出たとき、 Budweiser Newport Jazz Festival in 斑尾 が日本のジャズの歴史に加わったのです。

スポンサーにビールメーカーを選んだのは、期間中、酒好きおやじがビールをタダで飲み放題を狙ったわけでは決してありません。

昼の、ジャズ ピクニックと夜の、ジャム セッション、一日中ジャズだらけを5日間、斑尾高原をジャズ ヴィレッジにしたのは、プロデュサー ジョージ ウェインのアイデアでした。期間中、斑尾高原にアーチストは滞在し、ステージ以外の時間は、お客さんとテニスをしたりソフトボールをしたり、アーチストたちも斑尾リゾートをエンジョイしてるんです。それは、今までの日本のジャズフェスティバルには無いものばかりでした。そして、盛り上げてくれたのがディジー・ガレスピー、カーメン・マクレエ、ジェリー・マリガン、マッコイ・タイナー、ロン・カーカー、フレディ・ハバード トニー・ウィリアムス、スパイロジャイラ、佐藤允彦、日野元彦、井野信義、ネイティヴサンといったメンバー。

標高1000メートルの大自然の中  太陽の下、芝生の上に寝っ転がってビールを片手に、好きなアーチストのジャズを聴く、パフォーマンスを見る、そして踊る。こんな贅沢なジャズフェスティバルは斑尾だけのものです。 ぜったい そうだよね・・・あるじ は自信満々で言い切ります。

1回から10回はバドワイザー、11回から13回はニッポンエクスプレス。ここから3年休み、1998年再開。15回から17回はシティーバンク・プライベートバンク、18回からはボーダフォンと、スポンサーのお世話になり、来年2004年は斑尾ジャズフェス20周年を迎えます。2004年で二十歳(はたち)になる斑尾ジャズ君は、大人の仲間入りをどんなかたちでみせてくれるのか楽しみですよネェ〜。そして、アメリカ生まれのニューポートジャズフェスティバルは生誕50周年を迎える訳ですネ。

斑尾ジャズにづ〜うっと関わって来た「あるじ」はジャズと酒好きが高じて、ペンションの1階を “JAZZY” という斑尾高原では唯一、いつでもジャズが聞こえるレストラン・バー にしてしまいました。

懐かしいジャズメンの写真が壁にいっぱい架かってて、いろんなジャンルのジャズが一日中流れてて、酒のメニューも豊富で手ごろな価格が喜ばれてます。・・・ちょっと宣伝。

ジャズフェス期間中、スタッフ、関係者、もちろんアーチストが顔を見せることもあります。10回目の来斑のジョン、3回目のエド、背が高いので入口の梁に頭ご注意(当店、あるじサイズの造りになってるんで)。1997年から気になってたし、写真も壁に架かってるダヴィッドの来店に期待。キャンディー、昨年はパパ来たよ〜・・・。 みんなでワーワー酒飲みたいね〜。

プロデューサーのジョージ・ウェインさん、ジョン・フィリップスさん、初めて斑尾に来て、お互いの抱負を話し、我が家のホールで「お抹茶」飲んだのもう22年も前のことになるんですね。

はなし変わるけど、あるじを呼ぶとき、普通、マスターとかオーナーとかおやじとかおじさぁ〜んとか呼ぶけど、 “JAZZY” のあるじ、ジョッシュ(Joshu)って呼んでくれると 結構うれしいです。 なんで? ジョッシュか・・・それはまたの独り言の時にでも、酒でも飲みながら。

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ダビッド・サンチェス(ts)とあるじ
斑尾 JAZZ FES 2003
レストラン・バー “JAZZY” にて

(2003年夏)