斑尾高原の「スター・ダスト」

2月13日の斑尾高原はで、夜は満月。
おらっちの”JAZZY”は開店休業状態。  心は

こんな夜は、久しぶりにゆっくりJAZZでも・・・・聞くかって。
満月の光で、星はすこし影が薄いけど空一杯。
スタンダードナンバーの
”スターダスト”なんかのんびり聴いちゃォ。
スターダストを10ものバージョンで・・・・どれも・・いいな~

この曲、聴けば誰でもって言っていいくらい知ってると思うけど、曲のいろんなこと話せば、へェ~ そ~なんだ。 そ~いうことあったんでロマンチックな曲なんだ。などいろいろあって、それを含めて聴くと想いがその都度変わるんよ。

おらっち団塊世代の少年時代のテレビシリーズに、今ではまったく見られない西部劇で”ララミー牧場”という人気シリーズがありました。淀川 長治さんの解説が最後にあり、「来週またお会いしましょ、それではさよなら、さよなら」ってにぎにぎしてたんだよね。    (ガッツのOK牧場ではありません。)
放送は、1960年6月23日から1963年3月14日までで、主演の「ジェス・ハーパー」役のロバート・フラーなんか日本で人気者になり来日もしてるんだよ。
この牧場の「爺や」で出ていた人、覚えてる人いるかな~
なんとなく記憶にあるな~   ってひと多いいと思うけど・・・・団塊世代の中だけど。

この「爺や」を演じてた「ホーギー・カーマイケル」(1899~1981)って人が作曲者なんです。
ホーギー・カーマイケルは1899年11月11日インディアナ州ブルーミントン生まれで、大学で法律を学び、法律事務所を開く為にマイアミに恋人のドロシー・ケイトを残し旅だったんだよな~。久しぶりに帰郷してみるとドロシーはすでに別の人と結婚。母校のインディアナ大学の石垣に座って星空を見上げ恋人のことを思っているうちに心に美しいメロディーが生まれ、それを曲に仕上げようと、学生達が集まる”ブッフ・ヌック”というレストランにピアノを借りに行ったんす。
そして、数時間後に「スター・ダスト」が完成されました。
曲が出版されたのが1927年、2年後の1929年にミッチェル・パリッシュによって詞が書かれたんですよ。

曲の中では、彼が座った石垣はガーデンウォールとなっているが、その石垣の呼び名は、「ラバーズ・ウォール」というオシャレなネーミングになってます。

おらっちだってロマンチックな気分になることだってあるんだよ~。

おらっちが聴いたリスト と スターダスト物語

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春を想う

雪だ! 雪だ!雪がどうした、こうした。
なんていってるうちに春への変わり時期の2月の3週目に入ってしまいました。
やはり、昔からの言伝えのように、明日は南からの暖かい風と共に
午後からは、まとまった雨・・・とか
今年は雪の降り方だけは良くあたった天気予報は 言ってます。

いつものシーズンだと・・おいおい、もう雨かよ・・まだ2月だぜ
なんて言いますけど。
今シーズンは・・・ちょっと雨でも、南風でも吹いてちょっと雪溶けてくんな~い
なんて思ってしまいます。
スキーやボード楽しむお客様の前では、決して言えない事ですけど

と、言ってるんですが
もうすぐ春が来るんですよね。
冬のシーズン、半分済んでしまってるんだから
冬が厳しいと春を待ち焦がれる、昔の人の気持ち・・・解るな~。

白い自然を、ず~と見てると、あの新緑の自然が、違う世界のように思えるよね~。

まだまだ雪一杯のこの時期でも、雪の下は確実に春に向かって植物は準備してるんですよ。

飯山市の市の花は雪ツバキです。
新潟県の県の花も雪ツバキ なんです。
斑尾高原の山の中にも雪ツバキはいっぱいあります。
本来、暖かい地方の植物である「雪椿」がどうしてこの雪国で生き延びていられるんでしょうか。
雪椿の木は柔らかく柔軟なんですよ。 ですから雪の重さに折れること無く雪の下で雪が溶けるまで冬眠してるんですね。

雪の下は、暖かいんです。  雪の「かまくら」に入ってるんです。
斑尾高原には、いろんな樹木や草花が・・・いぱ~い あります。

春はまだかと・・・その日を待ってるんだよね。
残雪の中に咲く、水芭蕉、萌黄色の芽を開くぶなの木やカラマツの木
機会みつけて案内します。      おらっちネイチャーガイドだから。

いろんな、話しながら・・・     でもいくらなんでもこの話はちょっと早いか・・・。

まだまだ  雪は降るでよ。

除雪と歴史

本日、雪の晴れ・・?間をみて除雪機のオイル交換しました。
考えてみると、今年はいつもの年の倍以上機械まわしてるよな~。

おらっちだって倍以上機械と共に歩き回ってるんだから・・・・えらい!!
今日はよくやったって自分には毎日オイル継ぎ足していながら
相棒には忘れていました。
が、本日気が付きやってやったことは、おらっちも機械思いだな~。
(本当は無ければ困るから・・・・)

もし相棒無かったらどうなっているんだろう
考えると  ぞ~とするよね。

でも、
おらっちが、斑尾に住み始めた頃は、こんな機械無かったし、あってもちいちゃくて、おまけに、値段も高かったし、性能も
今ほどではありませんでした。
雪も今よりは平均的に多く、
では、その当時、家の周りの雪はどうしてたでしょう・・・・か。

朝は4時頃に起床し、除雪車が来る前にスノーダンプ(決して雪を運ぶダンプカーではありません)
手押しで雪を運ぶ…すぐれもの・・?    そんな説明要らんワイって言われそうですが・・・

そのスノーダンプにて全て道路に出していたんだよな~。
それを、除雪車に持っていってもらってたんです。

では、何故、雪の日除雪車が来る前に起床し、毎回それが必ず出来たんでしょうか・・・?
1  年齢が 20代   だった。
2  斑尾高原に宿泊施設が少なく、お客様も少なく、他に仕事が無かった。
3  当時の除雪車は、キャタピラのブルドーザーのために、除雪車の出動と共に、その振動が地震を思わせ、目がさめた。

現在は、タイヤドーザーのため、振動が無く知らないうちに除雪が済んでしまいます。
年齢も・・・・そうとう往ってます。
仕事も増えてます・・・・?   (酒飲みすぎると起きれません)

ブルドーザーの振動は、考えられないほどすごかったんだよ~。
当時、これのために家の壁にひびが入ったこともあったんだよ~。

たまたま、おらっち設計した人が宿泊していて、この揺れに自分の設計したボイラー室が爆発した夢と重なり、いきなり地下まで夜中に飛び降りて行った事もあったっけ。

それと、おらちの横だって、玄関の近くまでアーチェリーの谷が入り込んでいて雪かきには楽だたんだよ。
今のタングラム方面への道路は、”85年におらっちの横を埋め立て造ったんだから・・・。
いろいろあったな~。      ちょっと歴史。

お願い。

またまた、雪の話ですんません。
昨日から今朝にかけての雪は、天気予報ほどではなっかったけど寒かったぜ。
窓ガラスが、朝ガチガチに氷状態になってたんだから・・・。
この冬、一番の冷え込み・・・ってのは本当でした。
今夜も、冷えてます。
現在、外はマイナス7度になってます。
昨日からの、お客様、ありがたいお客様ですが、・・・・ちょっと疲れます。
予定が、毎日決まっていません。
明日の朝食・・・・・なんと6時ですぜ~。    おらっち、5時起きだよな~  で  まだお客様の相手してるんだよ。
でも
こんな毎日だったら  おらっち、死んでしまいます。
商売だから・・・毎日でも・・・いいけど・・・

そろそろ、時期的に天気も落ち着くころです。  この週の雪が・・さいごっぺかも。  希望的観測です。

そろそろ、得意な分野  語り始めるかな~   明日早いんだから早く寝ようよ。
お願い。