斑尾山麓開発の成り立ち 8

開発の構想

斑尾山麓の開発は、夏だけの野尻湖と冬のスキーだけの飯山地区を有機的に結び、山と湖の一体的開発を図り辺境地からの脱却を進め地域住民の福祉の向上を企画するものでありました。

計画の構想は、飯山市から妙高村、万坂峠を経て、野尻湖を結ぶ基幹道路約19kmの開設ならびに、
この路線と妙高村上樽本を結ぶ約6,2kmの取り付け道路の開設等を根幹とし、

この沿線に菅平方式による保健休養地337ヘクタールを開発するとともにその中心的位置に国際的大規模スキー場を開設せんとするものである。

飯山市と野尻湖を結ぶ基幹道路の開設は、
野尻湖の湖岸道路を経て国道18号線に連絡され、黒姫保健休養地、黒姫スキー場、飯綱東山麓線等を経由して、飯綱、戸隠高原と結ばれ、さらに、戸隠バードラインを経て長野市に連絡され、広域観光圏形成の上で重要な意義をもつものである。

また、スキー場の開設と相俟って、信濃町、妙高村、飯山市等の関係地域には、
民宿を主体とした宿泊施設の整備。拡充が必要であり、これらによる農家所得の大きな向上が期待される。

この地域の開発にあたっては、特に、菅平方式による提供用地のみの部分的開発でなく
基幹道路を中心として広範囲に計画を策定し、将来にわたって自然環境を保全するよう配慮していく考えであるとされています。

野原の厄介者

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この時期、野原や道端に鮮やかな黄色で良く目立つ花

セイヨウタンポポとブタナ

どちらもヨーロッパ原産の帰化植物です。

セイヨウタンポポは明治時代に帰化、今ではいたるところに分布を広げています。

ブタナも牧場などに生えていたものが、全国で群生状態になっているところを見かけるほどの分布になっています。43年前の斑尾高原開発当時には、ブタナはありませんでした。

どちらも、繁殖力が強く植物の生態系を脅かしています。

見かけたら根こそぎ抜きましょう。

 

フリ―ジャズの巨人 訃報

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オ―ネット・コールマン氏の訃報のニュースが入ってきました。

1958年初リーダー作、(サムシング・エルス」1959年の「明日が問題だ」そして5月「ジャズ来るべきもの」の代表作発表など、フリージャズの楽しさを伝え続けて、85歳の生涯を閉じたグレイト・オ―ネット・コールマン氏、また一人巨人が旅立ってしまいました。

斑尾山麓開発の成り立ち 7

開発事業上の問題点
「菅平方式」を完遂するための、地主の理解と協力。共有地における住民すべての同意が必要である。

同盟会各委員は、根気よく土地提供予定者の理解と協力を求め、各家を訪ね、その熱意と誠意が地域住民の信頼と好意的な協力を生み出す結果となりました。
提供の同意を得た用地の測量は飯山市技術員によってすすめられ、昭和43年3月の飯山市議会の決議を経て、飯山市分用地として長野県企業局に158,7ヘクタールを提供しました。
長野県(飯山市、信濃町)新潟県(妙高村)における行政区の違いは、容易には超えられない高い壁でありました。
しかし

「観光開発に境はない。大切なことは自然に対する深い敬愛の念と開発に携わる人々の一致団結した志なのである」

と確固とした信念を持った相沢武雄氏の献身的な力添えにより、妙高村の深い理解を得ることになり、行政の壁を超え月日の時間を費やしたが昭和47年2月妙高村の用地96ヘクタールが企業局に提供されました。
また斑尾山西麓の信濃町分用地57,3ヘクタール提供の同意も、好意的に得ることができ、

昭和43年(1968)8月4日真夏の熱い日差しの中で飯山市と万坂峠を結ぶ取り付け道路の竣工式が行われ、45年11月9日10,5km(奈良沢~八坊塚)が開通、斑尾山麓の開発が現実段階に入ったのでした。