佐渡島旅行

つい、この間佐渡島に旅行に行って来ました。
昨年も、9月だったけど行ったんです。・・・・家族6人で。

今回は、斑尾の仲間中心の6人。
目的は、佐渡の味覚を満喫する でした。  なんでとりあえずは季節的に、カニ・カキを中心に海の幸
ホテルに、カニ・カキの食べ放題を予約。
カニは紅ズワイ、カキは素焼きをレモンで・・・・・
食った・・・食った・・。

佐渡のカキは、真野湾で養殖してるんだけど、元々湖だった真野湖と海をつなげたんで海水と淡水が混ざってて、淡水で育ったカキは生では食べれないんで加熱した食べ方になるんだって・・・。

食いしん坊・大食い・大酒のみの6人でしたが
カニ・カキを見たとたん本能が全開
酒は飲まない、しゃべらない・・・・・食い気のみ
おらっち、やっとカニ一匹食ってる間に三匹目に取り掛かってる・・・同じように若干足に問題のある・・・○田チャン。

ゆっくり、海の幸味わいながら、うまい酒を飲もうと思っていたのに
小一時間の間に、全員
もう食えね~・・・はらいっぺえ~・・・横になりて~・・・もう酒のみたくね~・・・・・・だと。
挙句の果てには・・・甘海老と寒ぶり方がうまかった・・・だぁ~あれだけ食っといて。

次の日、大佐渡スカイラインを走って金山へ・・・。
登る途中に、佐渡で唯一のスキー場があるの知ってる・・・?
上まで入ったら雪降ってるジャン。道路はところどころシャーベット状態。
途中の展望の効くところから佐渡島を眺めると、島のくびれが良く見えて地図をそのまま見てるみたい。晴れてると斑尾山も見えるんだろうな・・・斑尾山から見えるんだから。

佐渡金山は江戸時代のイメージが強かったんだけど、採掘を中止したのは平成元年の3月なんだって。388年間も掘り続けて、その間の金の量は78トンだそうです。
資料館の中に、行った人は知ってると思うけど・・・
金の延べ棒(12,5kg)を箱から出したら記念品をくれる体験あるよね!!。
とりあえずは、皆で挑戦.。 金12,5kg当日の相場で約3000万円・・・・とりあえず3000万を・・・わしづかみ。

なんと・・・帰りのフェリーで、アイ・ネット飯山のスタッフとばったり!・・・佐渡への取材の帰りとのこと
沼田さんに缶ビールの差し入れを頂き、しばし盛り上がり。
金山での延べ棒の体験、みごと沼田さんは箱から出したとのこと・・・・おみごと!。
後日、放映あり。・・・みんなで見なくっちゃ。
おかげで、2時間半の旅の半分を楽しく過ごせました・・・沼田さんごちそうさま。

というわけで、しばらくカニ、カキは見たくもないし、食べたくもありません。
ちなみに、佐和田町の寿司屋でタラフクのお昼もしたんです。

とっても食べ疲れた・・・・旅でした。

シリーズに復帰ー北信五岳ー妙高山

やっとの思いで復帰です。
何がやっとなのかはわかりませんが・・・・・
二ヶ月ぶりくらい・・・・?
しかし、5回シリーズだなんてイッチャッタカラ年内にはシリーズ完結しなくっちゃ
そこで、いやっと言うくらい書きまくってきた・・・そしていまだに気になる妙高山

いつもと違って、本来の山のお話・・・・

妙高山(2454m)は妙高連峰と総称されてる中心で、赤倉山・三田原山・神奈山・前山と名付けられた外輪山が囲んでる典型的な複式火山なんです。
複雑な地形を造ってるのは、新しい火山の下には古い火山が隠されていて、その下にはもっと古い火山が見つかってるんですよ。
妙高山は三世代の火山が重なり合っているんで
そういうことで複雑なんです。

親亀の背中に~小亀を乗せて~
小亀の背中に~孫亀乗せて~

孫亀が現在見えてる妙高山って言うことかな・・・?
なんちゅう例え・・・なんだ。

数千年前まで噴火を繰り返していて、今の地形(孫亀)が出来たのは約4千年前の大噴火で、火山灰は黒土のなかに黄色いゴマのような火山灰があることが特徴なんだって。
その時の火砕流の一部を、関山の国道沿いの崖に見ることができます。崖には大きな白っぽい岩石が多く混ざっていて、この岩石を「関山石」って呼ぶんだそうです。
斑尾山から妙高山までは、直線距離約15,5km
奥に見える火打山(2462m)までは約20,5kmです。
妙高山は日本百名山にも選ばれていて、その山容から越後富士とも呼ばれてるんだよ~~。

あと三回・・・がんばるぞ~   近々黒姫山にいきたいと思いま~す。

元気です

久しくブログの更新がとどこうってますが
別に怪我や病気をしているわけではありません。

またまた、ハードな日々がつづいています。
そのうちおもしろい話・・・・・・書きます。

北信五岳ー斑尾山

斑尾山は火山です。薬師岳を主峰(1381,8m)とし、火山としては高いものではありません。第3紀から第4紀(170万年前)という遠い地質時代に出来た斑尾火山群で、西方に妙高山、火打山などからなる妙高火山群、北方に鍋倉山・黒倉山などからなる関田山脈があります。
周辺の山の中では、最も古い火山で浸食が非常に進んでいます。眺める方向からはとても火山とは思えません。

北信濃の人々は、「ヤクシサン」「マダラオヤマ」「マダラオサン」「マダラヤマ」などと呼ばれ、飯山地域のお年寄りは、「マドロ」とか「マドロオ」とも呼び、古くから親しまれている山です。

古い時代には、信濃の国では斑山(まだらやま)・越後では斑尾山(まだらおやま)と呼ばれていました。

斑尾山の最高峰は「薬師岳」でその西方の峰を「大明神岳」北方の峰を「北峰」斑尾高原の宿泊施設がある方向からは山頂のように見えるため「仮山頂」と呼び、この3峰に囲まれた西側は急な崖のようになっていて、噴火口を思わせたりしますが、岩石等などから噴火口壁ではなく、爆裂火口であると言われています。

東側に残る火山斜面を基に、接峰面図から等高線を西側に延長し、周辺の丘陵や山地の接峰面図の等高線を接続する方法があるらしいが、その方法で斑尾火山の浸食される前の地形を復元すると浸食前の斑尾山薬師岳は約1900mの高さがあったと考えられるといいます。
斑尾火山は、だいたい100万年前の火山で、40~30万年前に周辺に火砕流を流れおとし活動を終えたとされています。

薬師岳から4方に尾根が延びているが、最も大きな尾根は西側に延びていて、寄生火山である「割ヶ岳」に続く「石原山」(1100m)「釜石山」(1020m)の峰があります。
南東の延びる尾根は、「大平山」(1170m)「扇平」で終わっています。
東北の尾根は、急に下り裾野状山麓を造り、昭和10年代は牧場として、47年には斑尾高原リゾートとしてオープンしています。
北の尾根は、万坂峠に至り、袴岳に接しています。

斑尾火山は山自体が小さいわりに側火山が多く、山麓を取り巻くようにありますが山の中腹には一つもありません。
側火山は、西に、城山(842m)倉山(1064m)その南に、城の越山・赤田山・花ヶ入山・の小トロイデがあり、
西南に、割ヶ岳・柴津山・石乗山・その南に薬師岳・舟岳と多くあるのに対し
東側は、郷路集落の西に、月夜岳(869m)沓津集落跡の西南側に小トロイデの干草場(910m)のみになってます。

南東に延びる尾根の先にある「大平山」(1170m)は、文部省唱歌「ふるさと」で、うさぎ追いし、かの山と唄われている山です。そこから流れでる川、斑川が、こぶな釣りし かの川なんです。

決して、かの山は斑尾山で(斑尾山でも間違いではないが、高野辰之先生が想い詠ったのは大平山だと付け加えてほしい)、かの川は千曲川だなんて、私達斑尾高原の者は訪れるお客様に説明をしないでください。

私達や飯山の人たちが、地域の情景が文部省唱歌として唄われていると話すとしたら、高野辰之先生が小学校の教師時代に飯山に下宿していた時の千曲川周辺の情景を描写した「朧月夜」(おぼろづきよ)だと思いますが・・・・。

北信五岳・・・5回シリーズです。
次回は、妙高山でいきたいと思います。

10月3日 全快

今日最終検査のつもりで病院へ・・・

森林セラピーのモニターツアーで「母の森」への案内で歩き、オプションのトレッキングでガイド、その前日は下見の為の山歩き・・・・

中学生のAE で4日間、レストラン「チロル」まで3往復、トレパークまで4往復、2日間は1日4時間立ちっ放し・・・

2回、ラフティングガイドの為千曲川まで・・・・

とってもいいリハビリしてます。
そのかいあって、レントゲンの写真に、前はあった膝蓋骨の黒いかげも無くなって
主治医、曰く「ある程度、ハードな動かし方していいよ」

もう、ハードな運動・動かし・・・・してま~す~。

「もともと、太い筋肉してたんで、それが結構よかったんかも・・」だって!。

じゃ、今日でおわりですか・・・?

「骨折の場合、骨が完全の強度が出るのは3ヶ月なんだよ。・・・だから・・最終は10月3日にしよう。」

ってことで、10月3日 はれて全快です。

ご心配やご忠告や励まし・・・皆様には感謝です、ありがとうございました。
ご忠告いただいているように
調子に乗らぬようにいたします。

毎日、あさ4kmのリハビリウォーキング実行中です。