航空写真

本棚を整理していたら懐かしい本が見つかりました。
1974年10月1日発行の、北ア・上信越スキー場の「航空写真」特集という写真集です。
長野市にある信濃航空株式会社が発行元です。

1974年と言えば斑尾高原が開発されて2年目・おらっちには長男が誕生した年でもあります。
ってことは、おらっちがパパに・・・ってか「おやじ」になった年。

斑尾高原スキー場もちゃ~んと載ってます。
案内には、宿として「フジタ斑尾高原ホテル」のほかペンションが13軒です。

ゲレンデの案内には、初心者コース・パラダイスバーン・ジャイアントバーン・エースコース・チャンピオンコースとなっていて、第一パラレルリフトAB線462m・第二リフトAB線495m・第三リフト497m・第四リフト304m、
レストハウスりんどう・・となってます。

中の広告ページもスキーは、NISIZAWA FORMULA
1974.ニューモデル。 今年のニシザワは、芯から新しい。・・となっています。
ブーツは、BYSON
国内大会最多優勝記録を保持するBYSON。
滑るマシン。ヒザのパッドが話題騒然。
デサントデモパン レーサー 速いものは必ず美しい  などがあります。

斑尾高原にはまだこの時、観光協会は設立されていませんでした。設立は1975年10月1日なんです。
戸狩観光協会の事務局は、太田農業共同組合内となっていて「国設戸狩スキー場」です。
妙高高原駅の正面に見える、現在閉鎖いているスキー場も「妙高パノラマスキー場」として載っています。

おらっちの年代には懐かしいんですが、もうそんなに時間が流れてしまったんですね。
スキーもブーツもデモパンも一度は身につけてるんで・・・・。

斑尾のあゆみ

斑尾高原に住んでたり、お客様として何度もお越しになられたり、斑尾が好きでまた気に入ってくださり、余暇を斑尾にベースにしてしまったりの人たちが
ブログの中で、好きでたまらない斑尾ってどんな成り立ちで
どんな育ち方してきたの・・?
な~んて
の書き込みご意見、要望がありました。

と・・・なると・・おらっちの出番であります。

今までも斑尾高原の歴史を・・それなりに紹介してきましたが
とにかく・・筆不精ってやつ・・・でも何とかしなくっちゃ・・記憶が問題になります。
おらっちの場合、アルチュー(アルコール中毒)ハイマー・・・が偲び寄ってますので・・・。

何から始めるかって・・・・どんな感じで作るのがおもしろいか・・・
単なる斑尾高原または斑尾高原スキー場の年表で・・いいのか~。

そもそも、斑尾山山麓の開発計画が浮上したのは、昭和39年 1964年12月のことであります。
昭和39年といえば、
第18回東京オリンピック・ 東海道新幹線開業・ 飯山市は市制10周年を8月に向かえていました。
この年の6月には、新潟地震もあったんです。
44年も前のことで
今ブログに遊びに来てくれている方の何人かは、この世に誕生していなかったと思うんです。

世の中は、みゆき族だのトップレスだので・・翌年にはアイビー族、原宿族などが出始めた時代です。

こんなことまで知ってる・・おらっちはいったい本当の年齢は・・・幾つだ~。

スキースクール

久しぶりにスクールでインチキラクター・・・・じゃない
インストラクターやりました。

今日のゲレンデはどうしたんでしょう・・?
ものすごい混みようです。ゲレンデ入口は黒山の人のようです。
ほとんどがボードの初心者ということもあり・・・その辺にべたべたと座り放題。

小学生の5年生2人、6年生2人の4人を連れて、そこを脱出するのに一苦労

大阪の枚方からのスキー教室かな・・・
最初は止まる事も出来なかったほとんど初心者の4人でしたが、最後はプルークボーゲンでスーィスイ。
4人の満足そうな顔が印象的でした。

欲を言えば、レンタルのスキーがひどすぎます。
20年も前のスキーを貸すのは、いくらただとは言え問題。
あのスキーであそこまで滑れるようになったんだから、今のスキーだったらもっと上達が早かったかも・・・
スキーがもっと楽しく、またスキーに来ようと思ったかも・・・

そんなことを感じて夜一杯やったら・・・
ご飯を食べながら、い眠ってしまいました。
一杯ではなく、いっぱい飲んだこともありますが・・・

八ヶ岳

長野県を代表する新聞に「信濃毎日新聞」がありますが、その中の特集という紙面に連載されている「八ヶ岳」というのがあります。
題字は「田部井 淳子」さんのものです。
田部井さんは斑尾にも2度いらしておられますが、斑尾高原のトレイルと信越トレイルのイベントでした。
2度とも、おらっちが現地のガイドとしてご一緒させていただいています。

18日の紙面で「八ヶ岳」も50回になりました。
今回は、八ヶ岳に入る登山者の安全を守る諏訪地区山岳遭難防止対策協会の隊員の方々の現況が書かれています。

山に入る人たちの状況や学校における山岳部の実態、山で起こる事故に対処する隊員の問題など・・・・

やはり直面している問題は、高齢化という問題のようです。
主要な母体である山岳会員の減少と高齢化傾向が原因の一つでもあるといえます。

遭難救助となると年のことは忘れ、「気持ちを切り替え、誰も泣き言を言わない」という人ばかりという頼もしくもあり尊敬さえも感じる。

下界にいる我々には想像も付かない、意志と体力と使命感をもった人たちの集まりのような気がします。

山が好きだけでは勤まらないしごとであります。

この記事の最後に、諏訪地区遭体協の隊長が、「ほそぼそとも山岳会の入ってくる若者を少しずつ育てるしかない、山岳救助は命を預けあう厳しい面があるのだから、本当の山好きにこそ入って来て欲しい」と期待を込めて呼びかけている。と結ばれています。

ちなみにこの隊長は、おらっちの実兄であります。
この冬も事故が無いことを願うばかりです。

祝 スキー場開き

本日、無事斑尾高原スキー場がオープンしました。

昨日まで雨交じりの天気でしたが、朝がたより雪になり昼間の間に30cmほど積もり滑走が一部可能になりました。
明日は、リフトも数箇所稼動。
おらっちも、早速今シーズンの初すべりに・・・・。

てことで、今日の午後はスキー4本にしっかりとワックスを塗り

準備・・・万端!!。