斑尾高原のさくら

ついこの間、2日ほどやけに暖かいというよりは暑いと思うほどの日があったかと思うと、今日なんかは寒いよね・・・。

時々、雨なんかが降ったり、風は南風なんだけど冷たいし

今朝は、5時半に起きて、6時からトレイルの下見に行きました。
雨の中、ビッグ・マウス・バンドのメンバー2人と3人です。
明日の、「妙高エコ・トレッキング・イン斑尾」に参加されるお客様に斑尾の魅力を充分に味わっていただこうと思い、そのルート探しなんです。・・・・残雪の除雪もしながら。

9時には、実行委員会のメンバーとルートの改良作業。 雪の為に折れてしまった橋の架け替え、残雪の多いいところの除雪・・・等々です
13時には、このイベントに大阪吹田市から50人のお客様が到着されるので
そのお出迎え・・・・そこでご挨拶

なんか・・・1日がやけに長いです。

湿原もこのルートもいたるところミズバショウだらけ。
おおいわかがみにも花芽が付いてました。オオヤマザクラも咲いてるし
水溜りにはカエルの卵もあるし、春を充分感じるルートです。

さくらといえば、斑尾高原ホテル前のテニスコート入口に
2本の桜が、今見ごろだよね。
あの桜、斑尾高原開発20周年の記念植樹で植えられたものって、・・・しってた?
平成3年8月1日 10時30分に記念植樹
15時から「芙蓉の間」で記念式典
16時からは、ジャズ・フェスティバルの10周年とジャズ・フェスティバル91”のウェルカムパーティーを兼ねた祝賀会が、ホテル・モンエール横にあった「イベントハウス」で行なわれたんだよ。

「イベントハウス」ってのは、ジャズ・フェスの夜のジャムセッションの為に造ったテントハウスだったんです。

桜は、3本植えられたんだけど雪の影響を受け、1本だけが育ちが悪く今年の春に根元から折れてしまいました。
3本は、飯山市、信濃町、旧妙高村の協力を得て開発されたので、市、町、村に対し感謝の気持ちを表す桜ということで3本植えたんです。

15年も経つと立派な木になるし、毎年良い花咲いてくれるよね。

桜の木の下に、唱歌「ふるさと」の詩が刻まれた石碑があるけど
あれは、斑尾高原開発10周年の記念碑なんだよ。
山の家の前の3本のオオヤマザクラは、斑尾高原開発30周年記念植樹なんです。
花芽がふくらみ始めました、他の桜が終わった頃
咲いてくれると思います。    結構、目立ちたがり屋かも・・・・。

植えた奴が・・・・奴だけに・・・?。

2005~2006スノーシーズン終了

4月2日をもってスノーシーズンが終了してしまいました。
今年のシーズンの印象は、ただただ雪が多く、よく雪かきだけはしたなァ~・・・です。

毎年シーズン最後に行なわれているスキー大会も天候面に心配はありましたが無事終了。
1日の「デュアルレース イン 斑尾」には95人
2日の「斑尾高原リーゼンスラローム大会」は148人の参加申し込み、選手の皆さん本当にありがとうございました。

3月29・30には30cmほどの積雪があり気温もすこし低めで、デュアルレースは4月の大会としては、とっても良い条件の中で出来たんですが、
その夜からは、雨と風・・・
夜中にはそれもひどくなり、心配のあまりときどき目がさめる・・・
朝、案の定雨はさほどでもないが風が強く、リフトの運行が心配。
南風が強く、スーパークワッドは運行不可。第二クワッド・第三B線にてトラバースコースを逆上しスタート地点へのルート。
選手も大会役員も移動に大変なことになっちゃいました。

レースのスタート時には、時折強風はあるものの雨も止み、時折日差しも射すようになり、怪我等のトラブルもなく2日間の大会が無事終了。
しかし、競技終了と同時に雨が激しくなり、大会役員全員撤収作業でびしょ濡れ、
あと1時間天候ががまんしてくれれば・・・・・

出場選手のみなさん・大会役員の皆さんご苦労様、そしてありがとうございました。

この大会は歴史も古く、第一回は昭和52年(1977)4月2日に行なわれ、昭和58年(1983)までは、初日に「斑尾高原リーゼンスラローム大会」
2日目は、お客様への感謝を込めた「ファミリーカーニバル」というイベントを開催しシーズンを終了していたんです。
「ファミリー・カーニバル」の第一回は、斑尾高原が開設されたシーズンの終了時、昭和48年(1973)3月24日にさかのぼり、10年間行なわれ、宝さがし・ペンション対抗の仮装大会・など様々なゲームなどが企画されていました。
また、昭和57年(1982)は雪不足のために、スキー大会が中止になったこともありました。

斑尾高原はスノーリゾートとして、様々な情報発信をしていくことが大切であり
いろいろな大会などイベントを開催したい。   なァ~と思います。

斑尾高原保育園 閉園

昨日、22年間斑尾高原のほとんどの子供たちが通った保育園が閉園となってしまいました。

斑尾高原の保育園の歴史は、昭和49年(1974)にさかのぼります。
飯山市堂平分校が飯山小学校と合併され、その分校を利用し堂平保育園として開園されています。
しかし、冬季に堂平までの通園は、子供を持つ各自での送迎が問題でした。
そこで、昭和49年に建築された、斑尾高原保険休養地管理棟の2階を冬季のみの保育園として借用し継続されました。

昭和59年(1984)関係機関のご理解により、待望の「妙高村(現 妙高市)斑尾高原保育所」、平成2年からは「斑尾高原保育園」として通年の開園が実現されたのです。
開園時には、年長6人 年中8人 年少3人 それ以下13人 合計30人の入園があり、その内14人は飯山地区からの委託を受けていました。

斑尾高原保育園として、本日までの卒園児は101名にのぼります。

多くの人々に支えられて歴史を刻んで来たわけですが、斑尾高原地区も少子高齢化が世間並に進んでいるということなんでしょうか・・・。

斑尾高原の歴史を刻んだものが無くなることは寂しいものです。
卒園した子供達や関係した人々が、数々の思い出を語り継ぐことが、これからの歴史を刻むことになるんだと思います。

斑尾高原保育園の本年度は、妙高市側で2名、飯山市側で11名 計13名です。
4月からは飯山市に委託し、子供達は飯山の街まで通うことになります。

式の最後に園児皆で唄った「斑尾高原保育園の園歌」「おもいでのアルバム」には、胸に迫るものがありました。

ありがとう、関係の皆様・子供達を見守った保育士の方々・・・・・
頑張れ、卒園した子供達・・・・

除雪と歴史

本日、雪の晴れ・・?間をみて除雪機のオイル交換しました。
考えてみると、今年はいつもの年の倍以上機械まわしてるよな~。

おらっちだって倍以上機械と共に歩き回ってるんだから・・・・えらい!!
今日はよくやったって自分には毎日オイル継ぎ足していながら
相棒には忘れていました。
が、本日気が付きやってやったことは、おらっちも機械思いだな~。
(本当は無ければ困るから・・・・)

もし相棒無かったらどうなっているんだろう
考えると  ぞ~とするよね。

でも、
おらっちが、斑尾に住み始めた頃は、こんな機械無かったし、あってもちいちゃくて、おまけに、値段も高かったし、性能も
今ほどではありませんでした。
雪も今よりは平均的に多く、
では、その当時、家の周りの雪はどうしてたでしょう・・・・か。

朝は4時頃に起床し、除雪車が来る前にスノーダンプ(決して雪を運ぶダンプカーではありません)
手押しで雪を運ぶ…すぐれもの・・?    そんな説明要らんワイって言われそうですが・・・

そのスノーダンプにて全て道路に出していたんだよな~。
それを、除雪車に持っていってもらってたんです。

では、何故、雪の日除雪車が来る前に起床し、毎回それが必ず出来たんでしょうか・・・?
1  年齢が 20代   だった。
2  斑尾高原に宿泊施設が少なく、お客様も少なく、他に仕事が無かった。
3  当時の除雪車は、キャタピラのブルドーザーのために、除雪車の出動と共に、その振動が地震を思わせ、目がさめた。

現在は、タイヤドーザーのため、振動が無く知らないうちに除雪が済んでしまいます。
年齢も・・・・そうとう往ってます。
仕事も増えてます・・・・?   (酒飲みすぎると起きれません)

ブルドーザーの振動は、考えられないほどすごかったんだよ~。
当時、これのために家の壁にひびが入ったこともあったんだよ~。

たまたま、おらっち設計した人が宿泊していて、この揺れに自分の設計したボイラー室が爆発した夢と重なり、いきなり地下まで夜中に飛び降りて行った事もあったっけ。

それと、おらちの横だって、玄関の近くまでアーチェリーの谷が入り込んでいて雪かきには楽だたんだよ。
今のタングラム方面への道路は、”85年におらっちの横を埋め立て造ったんだから・・・。
いろいろあったな~。      ちょっと歴史。

なんで・どうして・いつから斑尾

本日の斑尾高原は、残念ながら雨になってしまいました。
こんな天気予報当たらなくてもいいのに・・・
朝から今(pm11:00)までに積雪量は50~60cmくらいは嵩が減ったんではないでしょうか。

しかし、正直な話(ここだけの話ッていうやつ)この間まで積雪に、これからまだ降り続いたら、雪の方つける場所の心配があったんですが
その部分はちょっと…ホットしてます。
本日、宿泊なさっておられるお客様・・・ごめんなさい。
このまま、朝まで降り続いたらどのくらいまで減るんでしょうか
朝起きたら、外は春になってたなんて・・・・・こたァ~ねェ~よォなァ~

春のような陽気ですが、斑尾は春雪解けの時、雪の残り方が斑(まだら)模様に残ることから「まだらやま」と呼ばれるようになったという言伝えがあります。
他にも様々な言伝えがありますが、どれを聞いても本当なような気がします。
長い歴史の中で地域風土や自然との関わり、山への思いから時代により山の呼び方も変わったんじゃないでしょうか。
ですから、どの言伝えもみんな本当なんだと思います。

斑尾山周辺の歴史は古く、住人達が34年前に住み着くようになる前、約1200年もさかのぼる所から始まるんです。
斑尾山にまつわる歴史資料は乏しく、今までも斑尾山に関する文献は多く出ていません。
そこで、歴史好きの住人としては興味をひくところであり
ぼちぼちとその辺を探り始めたという訳であります。

少ない資料から、仮説も含め斑尾にまつわる歴史小話を書き綴ります。
それでは・・・はじまり、はじまり

外はまだ、雨です。
あ~した天気に なァ~れェ~  です。