斑尾山麓開発の成り立ち 4

広大な斑尾山麓の開発を成し遂げるためには、住民側の力だけでは無理があります。

行政との一致協力のもとに観光開発にあたる「菅平方式」(住民が無償で提供した土地を県企業局が造成して分譲し、その利益を土地提供者に還元するという方式)を採用したらどうかと考え、

昭和41年6月飯山商工会を母体とした「飯山開発準備会」を結成し、関係住民の理解と協力を求め、長野県企業局をはじめ関係機関に対して積極的な働きかけを開始したのであります。

斑尾山麓開発の成り立ち 3

昭和41年(1966)初春、丸山哲三氏、高橋春雄氏、他多くの人々が、深刻な過疎に悩む飯山地方の経済文化発展について日々激論を戦わせていました。
6月13日「沼・万坂線期成同盟会」が発足、
話し合いの中から斑尾山麓を長野県の保健休養地として、
みずみずしい自然の恵みを都会の人々に提供しようではないか。
またそうすることで、飯山市の復興を計れることができるのではないか・・・ということで意見の一致を見たのであります。
            49年前の事になります。

遭遇

斑尾高原内のトレイル整備の途中、そろそろ見るのも終わりになる時期になるチョウを発見。

なんと、ヒメギフチョウの交尾状況です。

ギフチョウ、ヒメギフチョウは斑尾では良く見かけるのですが、交尾を見るのは初めてです。