ミヤマクワガタは涼しいのが好き。

夜の斑尾高原は、懐中電灯を持ったお子さんやその家族が夜遅くまで歩いています。
クワガタを探して歩いているのです。
本来クワガタムシは夜行性ですが、ミヤマクワガタは環境によっては昼間でも行動します。

おらっち、トレッキングのガイドとして森をご案内している時見かけることしばしば。

ミヤマクワガタは、涼しい所が好きらしい。いわゆる冷涼湿潤の環境。それと違いノコギリクワガタは、温暖湿潤の環境が好きらしい。
だから、ミヤマクワガタは山地に多くノコギリクワガタは平地に多くみられるのもうなずけるところです。
ミヤマクワガタのミヤマは、「深山」からです。山奥の意味ですから標高が高い山間部
に見かけるということでしょうか。

ミヤマクワガタは、人間の手つかずの環境に生息するといわれいて、指標昆虫に指定されています。良好な自然環境に生息するため環境調査のために指定されてる昆虫の一つだそうです。

やはり斑尾高原は、ミヤマクワガタが多く生息しているということはまだまだ環境が荒れていないということがいえるのではないでしょうか。
クワガタムシが居なくならないように環境を守っていきたいものです。

斑尾高原にきてミヤマクワガタを採取したお子さんたちは、家に戻ったら涼しくしてあげてください。
25度くらいで約2カ月の寿命と言われているミヤマクワガタですが、20度~23度位にしてあげると4カ月近く寿命が延びるそうです。
そして、体も大きくなるそうです。
そして、湿度も忘れずに・・・!。

秋に卵をうみ、冬をこして夏に成虫になるのに、平均的には2カ月足らずの寿命
採取したクワガタムシ大事に優しく見守ってほしいと思います。

雷雨

今日の午後2時すぎ、南の方の空が黒い雲に覆われて静かに北に進んでいました。
午後3時を過ぎたころ、遠くに最初の雷が・・・・

それから10分もたたないうちに、いわゆるバケツをひっくり返したような・・・雨
それと、真横から聞こえるような…雷。
遅いお昼ごはんでしょうか、ちいちゃなお子様2人2家族のお客様
当然のことですが・・・・泣き出してしまいました。
あまりにも近い雷でしたから・・・。

山の雷は、上で鳴るのではなく横と言ったほうが良いくらい。
今日の雨は、30分弱位の時間でしたが半端ではありませんでした。

おかげで、その後の涼しいこと。
そして、ほこりも洗い流してくれたようでした。
緑がとっても綺麗です。

猛暑日

斑尾高原も昨日からちょっと異常な暑さになってます。

今日は特に日差しがきつく感じました。

全国には、921ヶ所気象庁の観測点があるそうですが、今日はそのうちの177ヶ所で
35度以上の猛暑日を観測したそうです。
また、47都道府県すべてで30度以上の真夏日を観測。
この夏の最高の記録とのこと。

今現在、JAZZYの外の気温は24度です。
日中暑かったんですが、風があり日蔭はとってもすごしやすい26度くらい。

それでも、長年ここ標高1000mに住みなれてしまうと
暑い・・・・暑いと言ってしまいます。
体のなれというものは、良いのか・・・悪いのか
でも、この様な夏ここで生活しているのは・・・幸せです。

遣唐使と妙高山

先日の新聞に、平安時代の僧「円仁」(794~864)の名前が刻まれた石版が、中国河南省にある「法王寺」で見つかった。を見ました。

「円仁」は838年から847年までの9年間中国で天台数学を学んでいます。

遣唐使は630年から20回ほどの渡航があったようです。
「円仁」は19回目の遣唐使として派遣されています。
石版は、道教を信仰する皇帝による仏教弾圧によって、寺の宝物の仏舎利がなくなるのを防ぐため地中に埋めた内容が書かれ、最後に「円仁」の名が刻まれているという。
845年のことで、今から1165年前のことになるんです。

「円仁」は、天台宗を確立した「最澄」(767~822)の弟子になります。
同時代の僧に、真言宗を確立した「空海」がおりますが、二人は18回目の遣唐使の派遣メンバーです。

遣唐使の2回目653年のメンバーに、「道昭」(629~700)という僧がいます。
中国に渡航中の先生は、「玄奘」(602~664)三蔵法師です。
そうです、あの西遊記の三蔵法師です。三蔵法師は僧の位で、名前が「玄奘」です。
「玄奘」は、インドより持ち帰った仏教の経典を漢訳した人です。年代から見ると「道昭」も手伝っていても不思議ではありません。
その漢訳の中で、仏教曼荼羅の中心になる山「須弥山」が、インドとチベット国境にあるカイラス山に例えられ、その山が「妙高山」と漢訳されているとされています。

「道昭」の弟子に「行基」という僧がいます。
奈良の大仏建立に貢献した人で、祖先は越志の国とされ、斑尾山の起源にも出てくる僧です。
遣唐使によって伝えられた仏教の広がりからみて、600年代から700年代頃に、
越志のの中山(こしのなかやま)と呼ばれていた山が「妙高山」と呼ばれるようになったと・・・・

おらっちの推測。

白山での修験道の修行山岳崇拝に仏教を取り入れた
「泰澄」(691~767)も斑尾山の起源に出てくることからも・・・・この頃・・・?

妙という字は、仏教の中では優れていたり、崇拝するひとに使う文字らしい・・・。

妙高山については、2008年にシリーズで書きましたが
何かの時にひもといて見てください。

毎度のことですが、長くてすんません!!。

梅雨空の間

今日の斑尾は、午前中だけ梅雨も中休み。
遠くの山々も霧がどんどんと消え、山の峰や谷がはっきり見えました。

山全体が、青みがかって普段とは違った景色です。

1981年に、沼の池から希望湖(のぞみこ)と呼ぶようになった湖までは、JAZZYから車で5分足らず、でも湿原東トレイルから希望湖まで森の中を歩いて行くこともできます。
約1時間のトレッキング。

その希望湖に行ってきました。
湖面には波がありましたが、遠くの山々と同じように全体に青みがかって
やけに落ち着いた風景でした。

日本を代表する日本画家、東山魁夷画伯(1908-1999)の作品「静映」を思い出しました。

1983年に開館した長野県の県民文化会館の中ホールの緞帳(縦9,5m横18m)の絵柄になってる作品です。

大ホールの緞帳は、小諸市出身の洋画家、小山敬三画伯の作品「紅浅間」が使われています。
いずれも、長野県にゆかりのある人の作品を・・ということだったとのこと。

東山魁夷氏は、「長野県の人々に親しみ深い風景の中でも、静澄な山の湖がふさわしい」とこの湖、沼の池(希望湖)にスケッチに訪れ作品にしたそうです。   1982年の作品です。

標高約860m、周囲2440m、南北740m、東西380m、最大貯水量48万5900トン、透明度4~5m、斑尾高原を訪れる人々には人気の湖です。

信越トレイルが湖畔を通り、脇に沼の池の伝説を伝える看板があります・・・・が
この文章、おらっちが書きました。