除雪と歴史

本日、雪の晴れ・・?間をみて除雪機のオイル交換しました。
考えてみると、今年はいつもの年の倍以上機械まわしてるよな~。

おらっちだって倍以上機械と共に歩き回ってるんだから・・・・えらい!!
今日はよくやったって自分には毎日オイル継ぎ足していながら
相棒には忘れていました。
が、本日気が付きやってやったことは、おらっちも機械思いだな~。
(本当は無ければ困るから・・・・)

もし相棒無かったらどうなっているんだろう
考えると  ぞ~とするよね。

でも、
おらっちが、斑尾に住み始めた頃は、こんな機械無かったし、あってもちいちゃくて、おまけに、値段も高かったし、性能も
今ほどではありませんでした。
雪も今よりは平均的に多く、
では、その当時、家の周りの雪はどうしてたでしょう・・・・か。

朝は4時頃に起床し、除雪車が来る前にスノーダンプ(決して雪を運ぶダンプカーではありません)
手押しで雪を運ぶ…すぐれもの・・?    そんな説明要らんワイって言われそうですが・・・

そのスノーダンプにて全て道路に出していたんだよな~。
それを、除雪車に持っていってもらってたんです。

では、何故、雪の日除雪車が来る前に起床し、毎回それが必ず出来たんでしょうか・・・?
1  年齢が 20代   だった。
2  斑尾高原に宿泊施設が少なく、お客様も少なく、他に仕事が無かった。
3  当時の除雪車は、キャタピラのブルドーザーのために、除雪車の出動と共に、その振動が地震を思わせ、目がさめた。

現在は、タイヤドーザーのため、振動が無く知らないうちに除雪が済んでしまいます。
年齢も・・・・そうとう往ってます。
仕事も増えてます・・・・?   (酒飲みすぎると起きれません)

ブルドーザーの振動は、考えられないほどすごかったんだよ~。
当時、これのために家の壁にひびが入ったこともあったんだよ~。

たまたま、おらっち設計した人が宿泊していて、この揺れに自分の設計したボイラー室が爆発した夢と重なり、いきなり地下まで夜中に飛び降りて行った事もあったっけ。

それと、おらちの横だって、玄関の近くまでアーチェリーの谷が入り込んでいて雪かきには楽だたんだよ。
今のタングラム方面への道路は、”85年におらっちの横を埋め立て造ったんだから・・・。
いろいろあったな~。      ちょっと歴史。

つかの間の喜び

大雪の後、春のような暖かさと雨、それでも15日の午後から久しぶりの太陽を見たのに
16日の午後には、もう又雪が降り始めた斑尾高原です。
以前のように、積もり方は少ないですが
つかの間の喜び・・・・・で終わりました。

この大雪は、残念な事故が多かったです。
この、飯山地域でもいくつかの事故があり、そのニュースを聞くたびに複雑な気持ちになります。
おらっち達は、冬雪が無ければ商売になりません。
この地域も、昔から雪を利用した産業で活性化をして来ました。

飯山市の観光の考え方の中に、”雪は飯山の宝物”としてのとらえ方があります。
観光産業に携わることのない人たちは、この様な雪の降り方、雪が及ぼすマイナス影響を体験する中で、はたして宝物と思うことが出来るでしょうか。

斑尾高原の中の宿泊施設の中にも、14日の暖かさによって屋根の上に積もっていた雪が落ち、そのために建物の破損が発生した処が数件あります。

34年間、様々な変化に対して知恵を出し合い、互いに汗をかきながら対処して来ましたが
自然の変化には、私たちはどうしようも出来ないんですね。

昨日から、第二弾のスキーインストラクターやってます。女子高生10人引き連れて、声がかすれるほどしゃべりまっくってます。
明日,もう一日ありますが、ちょっとだけでも晴れて雄大な景色みせてやりたい!
今日一日、吹雪の中でした。おまけにガスも出て視界は最悪
でも、生徒さんの明るさと、ノリの良さに救われ楽しかったです。
明日ために

なんで・どうして・いつから斑尾

本日の斑尾高原は、残念ながら雨になってしまいました。
こんな天気予報当たらなくてもいいのに・・・
朝から今(pm11:00)までに積雪量は50~60cmくらいは嵩が減ったんではないでしょうか。

しかし、正直な話(ここだけの話ッていうやつ)この間まで積雪に、これからまだ降り続いたら、雪の方つける場所の心配があったんですが
その部分はちょっと…ホットしてます。
本日、宿泊なさっておられるお客様・・・ごめんなさい。
このまま、朝まで降り続いたらどのくらいまで減るんでしょうか
朝起きたら、外は春になってたなんて・・・・・こたァ~ねェ~よォなァ~

春のような陽気ですが、斑尾は春雪解けの時、雪の残り方が斑(まだら)模様に残ることから「まだらやま」と呼ばれるようになったという言伝えがあります。
他にも様々な言伝えがありますが、どれを聞いても本当なような気がします。
長い歴史の中で地域風土や自然との関わり、山への思いから時代により山の呼び方も変わったんじゃないでしょうか。
ですから、どの言伝えもみんな本当なんだと思います。

斑尾山周辺の歴史は古く、住人達が34年前に住み着くようになる前、約1200年もさかのぼる所から始まるんです。
斑尾山にまつわる歴史資料は乏しく、今までも斑尾山に関する文献は多く出ていません。
そこで、歴史好きの住人としては興味をひくところであり
ぼちぼちとその辺を探り始めたという訳であります。

少ない資料から、仮説も含め斑尾にまつわる歴史小話を書き綴ります。
それでは・・・はじまり、はじまり

外はまだ、雨です。
あ~した天気に なァ~れェ~  です。

斑尾高原って何県・・・?

斑尾高原観光協会が発行しているパンフレットや、斑尾高原の宿泊施設が独自に自己の施設紹介等の広告・宣伝に使用する時の住所は、
長野県飯山市斑尾高原 が使われています。
しかし、
斑尾高原のほぼ中央を、長野県と新潟県の県境が走っているんです。
飯山方面からの道路から斑尾高原に入ると、上りきった正面に案内看板と
”MADARAO RESORT” のプレートが花に囲まれた芝生の中にあります。通称 ロックガーデンと呼んでます。
現在は3メートル近い雪の下ですが・・・
道路右側には、観光協会が管理するビジターセンター「まだらお高原 山の家」があります。
ロックガーデンを右折しますと神秘的な湖「希望湖」、春は水芭蕉・リュウキンカ等が咲き、秋まで様々な花が見られる「沼の原湿原」方面になります。

希望湖方面からロックガーデンに向かって、道路の右側側溝が県境で
そのまま斑尾高原ホテル方面の道路の右側側溝と続き、ホテル前の三叉路まで伸びています。
車の場合は飯山から、この三叉路までは長野県を走ってる訳です。
道路から様々なお店が並ぶ駐車場に入ると、そこは新潟県になるんです。
県境は、斑尾高原ホテルのほぼ中央を走り、ゲレンデに抜けチャンピオンコースを斑尾山の北の峰に上り、稜線を西の峰からタングラムスキー場との境を万坂峠に下っています。
斑尾山山頂は、長野県です

現在、斑尾高原の行政区としては、新潟県妙高市斑尾区には77施設、長野県飯山市斑尾区に50施設となっています。

斑尾高原の開発当時は、現在のように道路が妙高市まで通り抜けが出来ず、飯山からの道路のみで、他地域に行くには飯山経由だったんです。
住人家は新潟県になるんで、営業許可申請は上越の保健所になるんですが、電話や新聞は飯山市になり、手紙なんか
おらっちから高原ホテルに正式住所で手紙をだすと、先ず飯山郵便局から妙高郵便局に当然まわります。しかし妙高方面から道路が無い為配達できません。そこで、飯山郵便局に差し戻され、そこからの配達になるため、隣に出した手紙が約一週間かかったという笑い話のような本当の話があります。
現在も、道路を隔てて中部電力と東北電力に分かれているため、どちらかが停電でもどちらかは電気が点いていたり、場所によってテレビも長野の放送・新潟の放送と違ってたりしています。

開発当時、飯山からの道路のみということで、斑尾高原は「飯山市斑尾高原」とし全国に宣伝活動をした訳です。それが現在も使われています。

ちょっと晩酌の量多かったかなァ~
何かまとまんねー文章だらだら書いちゃいました。

量もほどほど

2006年元旦 なんて良い天気なんだ。
2005年12月から降り続いていた雪が止み、そして久しぶりに太陽の顔をみて、アァ2006年は、良い年になるんだ…ワン

と思いきや…本日3日、朝から雪かきの一日でした。
今日の雪の積もり方は… 異常です。
道路は大混乱・斑尾高原から長野駅までの直通バスは
予定の1時間15分を大きくオーバーして、3時間10分を要したとか。
長野市内も雪でのろのろ・・・

何でも多けりゃ いいってもんじゃねえんだよォ

って猛吹雪の中、除雪機のハンドル握って鼻水流しながら
叫んでしまいました。
夜、この吹雪の中、JAZZ聞きながら酒飲みに来てくれたお客さんに感謝。
シングルモルトのBOWMORE12年 1杯 サービスしちゃいました。
この酒のヨード感で風邪ひかないように…なんちゃってって。

天気予報では、斑尾高原の上空は10日くらいまで雪が降るんだってよォ。
何でも、ほどほどが一番。
明日も、朝から除雪がんばります。