子宝の松

斑尾高原には多くのトレッキングトレイルが整備されています。その総延長は50kmにも及びます。
その中のひとつに、湿原東トレイルがあります。
ペンションやレストランが立ち並ぶ高原の中心から沼の原湿原に向かうトレイルです。湿原手前から分かれるトレイルは、希望湖(のぞみこ)に続いています。

この湿原東トレイルの入口からしばらくは、わりと平坦な森の中を歩きますが、左側が5mくらいの谷になっている斜面の切り土にさしかかる場所に、特に気にしないで歩いていると解りませんが、
ご利益があるといいな・・・と思いあるいていると
そう言われれば・・とうなずける大きな唐松の木があります。
トレイルの整備を始めた時に、おらっちが名付けました。
「子宝の松」 です。
斑尾高原のトレッキングマップ初版には載っていたんですが、現在発行されているものには記されていません。
ある時期までは、しめ縄も巻かれていました。
斑尾高原でトレッキングガイドをしている人は、ほとんどの人が知っています。

この唐松に手を合わせたかどうかは確かめていませんが、斑尾に住む人やその友人間では、今年ベビーラッシュです。
その唐松の前は、全員が行ってたり、歩いているはずです。

湿原東を歩くと、皆子宝に恵まれちゃったら・・・えらい事になりますが、

斑尾高原は標高約1000m。 1000mの気圧は母の胎内の気圧と同じくらいといわれてます。

斑尾高原に広がる森は、母の森とも呼ばれています。
願い事が叶うかもしれない湿原東トレイル、子宝を望む人・・歩いてみませんか
そして、「子宝の松」見つけましょう。
お参りの仕方、お教えします。(お賽銭は必要ありません・・・念のため)

スプリング・エフェメラル

今日の午前中、トレッキングのガイドです。
「ふるさと春紀行」残雪とブナ林の新緑に出会える赤池周辺トレッキング
という企画のガイドです。

今年は雪が少なく、雪どけも早かったのでゴールデンウィーク中が最高の状態と期待してたのですが、時期と言うものがあるんですね。
ブナの木の芽吹きには少し早かったようです。

しかし、今日のトレイル周辺はイタヤカエデに花が咲き始め、ブナにも芽が出始めていました。
コブシやタムシバの白さが目に付き、オオヤマザクラも花が残っている木もまだまだあります。

ブナ林の中の日当たりの良い斜面にはイワカガミが2・3日で花が咲きそうです。
そんなブナ林を、神奈川県からのゲストさんと歩いてると、一匹の蝶がおらっちの前を横切りました。
あっ・・・・リュードルフィア 春の妖精ギフチョウです。
春を待ちわびて、日差しの中気持ちよさそうに飛んでいます。しばらくすると、もう二匹が目の前に・・・・
しばし、足をとめて見入ってしまいました。おらっちたちの周りを三匹の春の女神が何回も回りながら飛んでいるんです。

もうひとつ芽吹きの美しさを見ていただけなかったと気にしながらのガイドでしたが、それ以上のチャンスに出会えた事が最高でした。ゲストさんたちにも最高に喜んでいただきガイド冥利につきました。

明日も、その次もガイド予定です。
この様なチャンスにまた出会えることを期待したいです。

800年前

ちょうど800年前、鎌倉時代の承元元年(1207年)浄土真宗の開祖親鸞が、専修念仏禁止の弾圧によって35歳で越後国府に流罪となり、居多ヶ浜(こたがはま、新潟県上越市直江津)にたどり着きました。

それを記念して、上越市で、親鸞ゆかりの地を巡るバスツアーが企画されています。
4月から7月までの日曜日を中心に19回予定されています。
上陸の地、居多ヶ浜や居多神社、配所だった竹之内草庵が境内にある五智国分寺、親鸞の妻恵信尼ゆかりの地である板倉町の「ゑしんの里記念館」、親鸞の頂骨や遺品が保存されている寺町の「淨興寺」などを見学するとのこと。また、5月26日~6月24日の間は、市立総合博物館で「寺宝展」も行なわれている。
集合場所はJR直江津駅北口、問い合わせはマルケー旅行センター・025-543-4120 だそうです。

親鸞は、越後では藤井善信(ふじいよしざね)という俗名で暮らし、板倉町米増の豪族「前越後介三善為教」の娘「恵信尼」(えしんに)と結婚(三善一族は山寺薬師を拠点に山寺三千坊といわれるほどの一大勢力をもっていた)
親鸞は、流罪になる前、京ですでに法然の弟子、照禅の娘「玉日」と結婚してたんです。

越後に居る間に子供ももうけていて、その一人善鸞とは教えの違いから建長8年(1256年)5月29日付けの手紙にて親子の縁を切っています。親鸞84歳のことです。

建保2年(1214年)親鸞42歳のとき、関東への布教活動のために家族で常陸の国(茨城県)の向かいますが、その時関田峠(標高1111m)を越えたといわれています。
関田峠は、関田山脈の中間ぐらいのところにあり、最も標高が高い峠で県境に位置します。飯山市から温井地区をぬけ、上越市関田地区を経て旧板倉町に通じる県道95号線上越飯山線です。歴史上に出てくるのは鎌倉時代になるんですが、平安時代から小路があったともされています。
峠には大明神が祀られていて、別名大明神峠とも呼ばれ、戦国時代には上杉謙信が川中島に向かうのにこの峠を越え、飯山で軍を整え出陣していったのです。

親鸞が、関田峠を越える途中、野宿をされた処は「高僧の寝床」と呼ばれ、この時この地が光明で明るくなったともいわれ「光が原」と名付けられた伝わっています。

恵信尼は、親鸞と20年ほど共に暮らした後、43歳の時の末娘「覚信尼」だけを京に残し、善鸞を除く二男二女と生まれ故郷越後に戻っています。
1262年12月20日すぎ、越後に住む81歳の恵信尼のもとに、11月28日京にて90歳で息を引き取った父親鸞のことを伝える手紙が覚信尼より届いています。

大正10年(1921年)に京都に居る覚信尼に宛てた恵信尼の手紙が西本願寺で見つかり、文面より恵信尼
が72歳の時にはすでに越後に住んでいたことが実証されたんですが、いまだに越後に戻った理由は明らかではないそうです。

JAZZY HOUSE寺瀬ペンションから上越市の親鸞ゆかりの地までは、車で約40分くらいです。
そして、斑尾高原から居多ヶ浜までは直線距離にして40km。親鸞上人も浜に着いたとき、南に見える妙高山とその左の山並みに斑尾山を見たかもしれません。言伝えには斑尾山の近くにも飯山市にも親鸞が歩き通りすぎたというところがあるんです・・・よ。

各ゆかりの地で聞ける案内とはちょっと違った、おらっちの話も聞きにお出かけ下さい。

いよいよ春です。

ようやく春らしくなった斑尾高原です。朝もようやく気温が7度くらいになったので、ノルディックウォーキング始めました。
そしたら、ゲレンデ近くの湿地、毎年斑尾高原で真っ先に水芭蕉が咲く場所ですが・・・そこに咲き始めました。・・・・
水芭蕉が・・・・
おらっちの家から歩いて10分足らず、車で2分くらいのところです。

今年は、雪が少なく雪解けも早かったので、沼の原湿原の水芭蕉は早くから見られると思っていたのですが・・・
やはり、時期と言うものはあるのです。
時期が来なくては花たちも出ては来ないんですね。

イタヤカエデの花やブナの芽吹きももうすぐだと思います。
これらの景色がみられる、赤池ブナ林トレイルの雪解けももう直ぐです。
5月の連休は、最高のトレッキング週間になるのでは・・・・

赤池のブナ林トレイルからは、日本海・佐渡島・上杉謙信の城跡春日山・
山本管助(勘助ではない)の名が確認された市川文書、市川(河)氏の領地市川谷などが見渡せます。
関田山脈を越える多くの峠道も想像でき、上杉の重要な峠「樽本越え」と呼ばれる峠は、直ぐ下にあります。
そして、信濃の国と越後の国との境に位置する歴史ある集落「樽本」が眼下に「ふるさとの原風景」を今に残しています。

樽本地区について

豊葦の地名由来

独り言にあるように地区の歴史文献が残っていません。おらっちの独り言として、おらっちなりに調べ想像しこんなとこまできました。
ある意味では、歴史あるそして謎多き地域なんです。

こんな、話しながらトレッキングのご案内しますので、お出かけ下さい。

山と高原地図

山や高原をトレッキングするとき、その楽しさを手助けしてくれたり、安全にその日の行程を終了する為に、私達はトレッキングガイドとしてお供をさせていただいています。
トレッカーによってはガイドをつけず、単独や仲間で登山やトレッキングを計画しますが、そうした時役立つもの、たよりにするものが、ガイドブックであり詳しいマップです。
こうしたジャンルの中で使いやすいものに、昭文社から出ている「山と高原地図」シリーズがあります。
このシリーズは、日本百名山を全山収録していてシリーズ数は59におよびます。

この度、この中の2007年全面改訂版が、16谷川岳・31富士山・32八ヶ岳・42塩見、赤石、聖岳が全面調査のうえ出ました。

その内の32八ヶ岳を調査執筆したのが、おらっちの兄貴なのです。
昭和17年生まれ、高校時代より山に上り始め、現在諏訪地区山岳遭難防止対策協会救助隊長をやってます。
昨年は、八ヶ岳で不幸にも多くの遭難事故が発生しましたが、その捜索や救助、収容でテレビニュースで見かけていました。

3月27日の信濃毎日新聞、毎週火曜日の特集「八ヶ岳」で遭難に関してのコメントが載ってました。

このごろやけに人相が似てきたとよく言われます。同じように頭髪は白く、おらっちなんかこの髪の毛のくせまで同じようになったような気がします。
やはり、兄弟なんでしょうか・・・・・
ただただ違う・・・似てないとこは、おらっちは高いところが苦手、高い山の岩場など登るようなことは考えられないということです。

蓼科山の麓、「大河原峠」という所で「大河原ヒュッテ」という山小屋をやってるんですが、HPを見ると酒で対応・心で対応なんて書いてあるんです。

この峠、その昔武田信玄が佐久と諏訪を結ぶ重要な路線で佐久侵攻に越えた峠なんです。
(ちょっと、歴史の虫が騒ぎ始める季節になってきたようです。)
信濃毎日新聞社から発行されている「峠で訪ねる信州」という本の84ページに紹介されています。

八ヶ岳・美ヶ原・霧ヶ峰方面の山と高原に興味を持ってる人、出かけようと思ってる人は是非お買い求めの上、ご感想をお聞かせ下さい。

兄貴に成り代わりましてお願い致します。
ちなみに、価格は800円+税 とあります。